人物シリーズ。
大きな大きな流れとしては、大正時代に入り景気は悪く、政治を見てみれば軍部が幅を利かせているし、1914年から第一次世界大戦も起きる。
国民はデモクラシー(民主主義)を求めたわけさ。
第二次大隈内閣が退いて、寺内正毅が内閣を組閣したけども彼も軍部出身。
自分たちで決める権利はどこにあるんだ!!
そう、声高に盛んだ人達が起こしたムーブメントが大正デモクラシーだったよね。これは日本だけではなくて第一次世界大戦中後、世界中で民主主義思想が高揚したんだよ。
社会を変えたい人達が決起して運動を起こしまくっていたんだ。
今日はその中心人物、吉野作造について見ていこう。
吉野作造の民本主義
民主主義と民本主義って何が違うの?
そんな疑問を抱いたはずだね。
そう!民主主義だと、主権が一般の民になってしまうでしょ?日本は天皇に主権がある君主国家だから、民主主義ってのは成立しないのさ。
だって天皇がすべての主権を持っていて、天皇機関説を唱えた美濃部達吉だってボコボコにされたくらいじゃんか。
そこで吉野作造は考えたのさ。
明治憲法の主権は君主にある、主権在君だから、どうやって民衆を政治に参加させるようにすればいいんだ?
そうだ!天皇が主権を運用するために、民意を尊重して民衆の利益のためにデモクラシーを活用して憲法を解釈していこうよ!
という、ちょっとまどろっこしい面倒くさい考えなんだ。
そこで「中央公論」といういまや日本で最も歴史のある雑誌にて民本主義を提唱したのさ。
吉野作造は普通選挙や政党内閣制を実現するために活動をしていて、1918年には自らの思想を実現するために黎明会っていう団体を作っているよ。
吉野作造は東大教授なんだけども、学生たちの運動にも積極的に参加した学生を主体として新人会という団体も設立。
民主化、いやいや、民本化に向けて努力した人物だね。