安政の大獄で死刑になった吉田松陰は結構ファンキーな人で、1854年にペリーが再来航した時に、密航を企ててる。失敗するけど。
しかも日米修好通商条約を幕府が天皇の勅許無しに勝手に結んだ時は、老中首座を暗殺しようと企てるほどファンキーな奴。弟子に止められるけど。
松下村塾の名前は聞いたことあるだろう!
なんだか、良いイメージの松下村塾は幕末に尊攘討幕派を多く育てたわけだ。
松下村塾について
俺はね、大学受験で日本史を勉強している君に向けて文章を書いているわけ。だからね、松下村塾の四天王とか覚えなくてもいいことは言わないよ。
入試に出そうなことだけ覚えてな。
江戸時代中期に山口県の萩市にできた塾覚えてる?明倫館だね。これは用語集にも赤字で書いてあるくらいだから、重要な藩校だよ。
明倫館は志族しか入塾が許されてなかったの、それに対して、松下村塾てのは武士とか町民とか身分の隔てなく参加できた塾なんだよね。
有名どころには以下のような人たちがいるよ。
久坂玄瑞
高杉晋作
伊藤博文
山縣有朋
品川弥二郎
正木退蔵
久坂玄瑞と高杉晋作は松下村塾の二大柱みたいなもんだから、絶対に覚えておいてよ。松下村塾出身!ってことをね。
この二人にスポットが当てられる理由ってのは、「討幕」を実行した人物だからってこと。
ちなみにだけど、吉田松陰が松下村塾を継いだのは、1857年のことだからまさに日米修好通商条約の前の年だね。ハリスはすでに総領事だし、必死に交渉している最中だから、松下村塾でも討幕の機運は高まっていたわけだね。
吉田松陰という人物
吉田松陰の当時の思想は、「一君万民論」といって、君主が1人で、あとは全員平等という考え方なの。
つまり、江戸時代は天皇はいるものの江戸幕府が実権握っているわけでしょ?しかもその江戸幕府も外国にやられてるし。
だから討幕をしよう!ってのは吉田松陰の考え方にまさに合致していたわけだし、むしろ当時の社会情勢を考えて「一国万民論」にたどり着いたって感じかな。
一度は、討幕を企てて弟子に止められるわけだけども、こういった松陰の考え方や姿勢が
「草莽の志士」
を増やしていくことになるわけだね。草莽(そうもう)とは草むらの意味で、職についていない志士が政治を語り、社会的正義を実行しようとすることだね。
結局、安政の大獄で死刑になる吉田松陰だけども
松下村塾出身の志士たちが後の討幕を実行に移していくわけなんだわ。