前回は、江戸時代を代表する黄表紙作家のひとり、恋川春町について見てきたね。
『金々先生栄華夢』で一躍人気となったけど、そのあと出した『鸚鵡返文武二道』が寛政の改革を風刺してしまった為に弾圧されたんだったね。
今回は、「俳句」分野で大きな功績を残した人物である与謝蕪村(よさぶそん)について見ていこう。
与謝蕪村の俳諧とは。
与謝蕪村は、単に「蕪村(ぶそん)」と呼ばれることもある。
与謝蕪村の時代では、連歌タイプの俳諧ではなく、発句(連歌の一番最初の五・七・五の部分のこと)だけを詠むことが主流になってきた。
ちなみに発句は明治以降“俳句”と呼ばれるようになる。
蕪村が詠んだ俳句は、当時の主流だったものとは全く違った。
平凡で世俗的な月並調俳句と言われるものが当時流行っていて、これは独創性が全く感じられないようなものだった。
これに対して蕪村は、「絵画的」な描写をしたことで世間を虜にする。
この「絵画的」ってどういうことか。
蕪村の絵画的な俳句とは、五・七・五のたった十七音でわずかな情景を描写するだけで、その情景を描いた絵が頭でイメージできてしまう、ということだ。
例を一つだそう。
菜の花や月は東に日は西に
すごーく広大な開けたところに一面咲いている菜の花、日が沈みかける空の雄大さが浮かんでこないかな?
このように、選び抜かれた言葉十七音で一枚の絵が頭に浮かんできてしまう。
これが蕪村の俳句が絵画的と言われるゆえんだ。
まとめ
蕪村の詠んだ洗練された俳句は、当時の詩人のみならず、明治時代の俳人たちをも魅了した。
天才的な語学センスの持ち主だったんだ。