昭和時代

東条英機の翼賛選挙とは?わかりやすく。推薦者381人が当選。

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開戦に消極的だった近衛文麿。

後を継いで首相になった東条英機は首相と陸軍大臣を兼任して独裁体制を強めていったね。

その独裁体制を強めていった最たる例が、今回紹介する翼賛選挙だ。

A級戦犯で絞首刑になった東条英機だけど、東京裁判中に大川周明に頭を叩かれてしまったエピソードに関しては、『東条英機の頭をたたく大川周明。東条英機内閣は開戦に乗り出す。』の記事を読んでね。

 

翼賛選挙とは?

翼賛選挙を理解する上で、大政翼賛会の理解は必須なので大政翼賛会については以下の記事を読んでね。

→ 新体制運動をわかりやすく!大政翼賛会の目的も詳しく見ていくよ。

 

翼賛選挙は21回目に行われた国政選挙だったので、

第21回衆議院議員総選挙と呼ばれているよ。第二次世界大戦下で行われた唯一の国政選挙さ。

1940年にはすべての政党が自主的に解散させられていて、大政翼賛会に合流していたよね。

当時の背景としては、

軍部に協力的な政治家だけを集めようぜ!

という翼賛議員同盟なるものができていてさ、ここ1941年9月の出来事ね。

内務省の軍部よりのズブズブ革新官僚も、『軍部が政権を担当する仕組みに積極的な人をどんどん推薦していこう!』

なんて言っちゃって、とにかく軍部による支配を賛成な人を推薦する仕組みになっていったわけ。

 

結局、1942年4月の第21回衆議院銀総選挙では、1000人以上の人が立候補して

翼賛政治体制協議会が推薦した人が381人も当選。

非推薦はたったの85人となったんだ。

 

だから翼賛選挙って呼ばれているわけだね。

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