縄文時代から弥生時代へ進んだことで大きく変わったことの一つが、タイトルにもあるように「お墓」だ。
縄文時代では、住処のすぐそばに穴を掘って、“屈葬”で埋葬する形態がふつうだった。
これが弥生時代では大きく変化することになる。
詳しく見ていこう。
弥生時代のお墓の特徴
まず縄文時代と大きく異なる点を挙げていくね。
伸展葬の出現
縄文時代では、死者の霊が生者に影響を及ぼさないように、ということで手足を折り曲げた状態で埋葬していたことは以前の記事で話したね。
弥生時代になると「伸展葬」、つまり現在でも一般的な“死者の両足を伸ばした状態で埋葬する”という方法が登場する。
手の形については様々で、胸の上に置いたり腕もまっすぐ伸ばした状態にしたり。
また、あおむけの場合・うつぶせの場合どちらでも「伸展葬」になるよ。
注意しておきたいのが、弥生時代のすべてを通して伸展葬だったわけではないということ。
弥生時代の中期ごろはむしろ「屈葬」がメインだったんだよ!
弥生時代後期になると次第に屈葬から伸展葬に移り変わっていくよ。
棺の登場
伸展葬とセットで覚えておきたいのが、「棺」が弥生時代から使われるようになったことだ。
木製のものや石製のものがある。
なかでも甕棺墓(かめかんぼ)という棺は重要。
でかいお椀型の土器の口をくっつけてカプセルみたいにして、その中に遺体をいれる。
このとき、屈葬で埋葬されるよ。
この甕棺墓は弥生中期、九州地方で大ブームを巻き起こす。
支石墓・方形周溝墓・墳丘墓
埋葬した土の上に、何個かの柱となる石(支石)を立てて、支石の上に天板となる石を乗っけたのが支石墓だ。
墓標のような役割もある。
支石墓の下に甕棺墓を埋めるタイプもあるよ。
方形周溝墓は盛り土をした“墳丘”の周りに溝を掘ったタイプのお墓。
家族墓であると推測されている。
方形周溝墓は家族墓ってこともあって大きくはないんだけど、弥生時代後期になると発展して大型の墳丘墓が見られるようになるよ。
四隅突出型墳丘墓なんかが大型の墳丘墓に当たる。
副葬品
弥生時代の甕棺墓などを調査すると、「遺体だけが入っているもの」と「遺体のほかに副葬品が入っているもの」があることが分かった。
ここから、“弥生時代の集落・地域ではある程度の地位の違いや階層があったのではないか”と考えられている。
副葬品の存在は、ともに埋葬された人が地位の高い人だったことを示すことにもつながっていたと言われているよ。