古代日本のナゾといえばまず邪馬台国が挙がってくるだろう。
というのも、邪馬台国に関する記述は中国の歴史書である『魏書』や『後漢書』によって窺い知るくらいしかできなくて、その実態がベールに包まれているからだ。
邪馬台国がどこにあったのか論争にもいまだに決着がついていないし、邪馬台国を治めた女王とされる卑弥呼についてもいまいちはっきりしない。
今回はそんな邪馬台国について見ていくよ。
そもそも場所がわからない
邪馬台国のナゾはたくさんあるんだけど、そもそも邪馬台国って日本のどこにあったのかがはっきりしていないんだ。
学説では九州にあったのではないかとする「九州説」、近畿地方にあったのではないかとする「近畿説」の二つが有力だ。
邪馬台国の謎の女王・卑弥呼
中国の三国志『魏志』倭人伝には“倭国大乱(日本列島全体を巻き込む戦争だったと考えられている)の中『卑弥呼』という女性を王として立てたところ、騒乱が収まった”と記されている。
この卑弥呼って女王も謎だらけの人物。
『魏志』倭人伝の記述からも、
- 生涯未婚で、弟がいろいろ補助をしていた
- 鬼道という不思議な力をもって人々を統率していた
- 女王となってからは姿をほとんど見せなかった
- 魏(中国の一国)に使者を送り、魏から親魏倭王という称号&金印をもらった
といったことぐらいしか分からない。
ちなみに卑弥呼が死亡した後、男が王座についたところまた戦乱が発生してしまったという。
これを収めるべく、卑弥呼と血縁関係のある13歳の「壱与」を女王として立てると戦乱が収まったらしい。
このころの日本や邪馬台国がどんな状況だったのかという議論は、未だに続いているんだよ。