以前、「氏姓制度」について説明したことがあったよね(詳しくはhttps://jahistory.com/shisei-seido/)。
氏姓制度は、大きな権力を持った豪族たちに氏とか姓とかを与えることで統率を図ったものだったよね。
だけどこの氏姓制度が、大化の改新が進むにつれてちょっと「扱いづらい」モノになってしまった。
壬申の乱を制して天皇になった天武天皇は、新しい日本を作るための下ごしらえとして氏姓制度を見直すことにした。
その結果生まれたのが「八色の姓(やくさのかばね)」だ。
詳しく見ていこう。
氏姓制度の実態
氏姓制度は5世紀後半ごろに誕生した、豪族をヤマト政権のもとに統率するための制度だったよね。
地方の有力な豪族一族に、その地位や役職に応じて氏(うじ)や姓(かばね)を授ける形をとっていた。
すごい権力を持った人には臣(おみ)や連(むらじ)という姓が与えられてたよね。
ただ、大化の改新以後、ヤマト政権が「天皇中心の社会」を目指すようになっていくと、これまでの氏姓制度では少々都合が悪くなる。
それはなぜか。
これまでの氏姓制度は極端に言えば「とりあえず有力な豪族であれば氏や姓を与えて」いた。
問題は、氏や姓を与えられた豪族の中に、最近大した手柄を立てていない豪族だったり皇族とあまり接点がない豪族も混じっていること。
皇族側からすれば、当然「天皇様大好き!」っていう豪族は近くにおいて大切にしたいし、逆に対して接点のない豪族は重用したくないよね。
というわけで、天皇に近い豪族とそうでない豪族で地位を区別しよう!という話になった。
でもいきなり氏姓制度を撤廃して新しい身分制度を作ったりしたら混乱するし、反発も大きくなるかもしれない。
そこで、氏姓制度のガワは変えずに、中身をいじくることにした。
で生み出されたのが八色の姓(やくさのかばね)というわけだ。
八色の姓(やくさのかばね)とは?
氏姓制度を改良したものとして登場したのが、八色の姓。
具体的にどう改良されたのかというと・・・。
一言でいえば、「これまで最高ランクの姓だった臣や連の上に、新しく姓をつくる」という改良をした。
新しい姓を含めたランクはこんな感じになった。
〈ランクが高い順〉
- 真人(まひと)
- 朝臣(あそん)
- 宿禰(すくね)
- 忌寸(いみき)
- 道師(みちのし)※
- 臣(おみ)
- 連(むらじ)
- 稲置(いなぎ)※
※マークは、一応設定としてはこの順位で入るはずだけど、実際には誰にも与えられなかった姓。
※は抜きにして考えても差しつかえない。
つまり、これまでの臣・連etc...といった姓はそのままにして、中でも天皇に近しい豪族を臣にはさらに上の姓を授けることにしたわけだ。
こうすれば大きな混乱を招かずに、天皇中心社会の下準備をすることができる。
よく考えられた政策だね、八色の姓ってのは。