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第二次若槻礼次郎内閣の時期の時代背景をわかりやすく。

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濱口雄幸内閣は蔵相の井上準之助とともに不況を打開すべく金解禁を行ったけどもくしくも1929年の世界恐慌と重なってしまたね。

続く不況で国民の不満は爆発。2人とも襲撃されてしまったよね。

その後に続く第2次若槻礼次郎内閣について時代背景を今回は見ていくよ。

 

第二次若槻礼次郎内閣

立憲民政党内閣。

彼は、満州事変に対して不拡大方針!これ以上事を大きくしちゃダメ!という方針を取った事で閣内不一致で総辞職するね。

では、なぜこの方針を取って総辞職になったのかって事を理解していこう。

 

1920年代の中国では蒋介石ひきいる国民政府が北伐を行って中国全土統一が進められていたよね。

日本は満州の権益を守るために張作霖と仲良くしていたんだけど、蒋介石に負けそうになった張作霖は逃亡。爆殺事件が起きたわけだ。

息子の張学良は国民政府に合流して抗日運動を続けるというドラマチックな展開だったわけだけども、

中国ではこれまで列強諸国に与えていて(強奪されていた)権益を回収しようという気運が高まっていくわけだ。

具体的には治外法権の撤廃や関税自主権の回復、鉄道権益、外国人租界や租借地の回復、外国軍隊を追い出すこと

などなどだね。

そこで、中国各地では日本製品を買わないボイコットが起こしたり日本に反抗する動きがすごかったんだ。

 

そうするとどうなると思う?

もちろん南満州鉄動は赤字になっちゃうわけ。政治的にも経済的にも日本は大打撃を食らっちゃて、満州は日本の生命線でもあったから焦りに焦るわけだね。

時は1931年4月、第二次若槻内閣が発足するもこういった中国の安定しないうごきに対して、幣原喜重郎が外交を行っていたけども

「軟弱だ!満蒙の危機を脱出するためには軍事力の発動だ!」

と荒ぶったのが陸軍。

とにかく軍事力で満州を中国の主権から切り離してやろうと考えて、満州事変に繋がっていくわけだね。

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