藩政改革では、名君と言われる、改革を大成功させた人が何人か存在する。
前回は、細川重賢について見てきたね。
今回は藩政改革での活躍はもちろんのこと、「江戸時代屈指」と言われる名君・上杉治憲(はるのり)、またの名を上杉鷹山(ようざん)という人物に迫る!
・・・その前に。なんで米沢藩が酷い財政難に陥ってしまったのかを抑えておこう。
米沢藩の財政難は「関ケ原」までさかのぼる
上杉治憲は、米沢藩の9代藩主。
治憲は数々の改革を行うんだけど、そもそもなんで改革が必要だったのか。
大きな原因は、関ケ原の戦いで家康と敵対していたため。戦後大幅に領地を減らされてしまった。
これで一気に財政難に陥るんだけど、当時藩主だった上杉景勝は武士たちを全くリストラしなかった。
まあこれ自体はいい話なんだけど、藩の資金がガッツリ減った中で人員はそのままだから藩の財政難が一気に加速する。
続く上杉家(米沢藩)の苦難
泣きっ面に蜂とはこのことで、米沢藩の跡継ぎが生まれる前に3代藩主が死んでしまった。
当時家を継ぐ者がいない場合は家を取り潰しされてしまうことになっていた。
この危機は親戚の保科正之(江戸屈指の名君と言われたあの人ね)によって救われる。
しかしこのお家取り潰し騒動によってさらに領地を減らされてしまう。
その後も無能な藩主続きで財政はもはやガッタガタ。それでも武士はリストラしなかった。熱い義の精神が根付いていたんだろうか・・・。
そんな窮地に登場したのが、上杉治憲だったわけだ。
前編まとめ
立て続けに大きな問題が重なり、米沢藩はもはや立ち直れるか分からないほどの財政難に陥っていた。
上杉治憲は、いったいこの苦難をどうやって乗り越えるのか。
後編でその内容に迫るよ。