人物にフォーカスするシリーズ、今日は上原勇作だよ。
上原勇作はなかなか面白い人でね。
第二次西園寺内閣1911~1912年をぶっ潰した中心人物なんだわ。
このブログは大学受験の日本史に特化した内容を記載しているから、
復習も兼ねてだけど、第二次西園寺内閣ってのは明治末期の不況真っただ中の内閣でさ。
緊縮財政しまくったら、軍からブチ切れられちゃったわけ。
二個師団増設問題とは?
帷幄上奏権を語る上で、まず重要なのが二個師団増設問題だね。
当時、陸軍は17個師団を25個師団に増師したの。
山形有朋なんかは『常に25師団、戦争時は倍の50師団!!』なんて言ってたね。
メモ
師団とは・・・グループみたいなもんだね。軍隊の部隊編成単位
でもって、上原勇作は日本が併合した挑戦に駐屯させる2個師団を増やしてくれ!
って西園寺内閣に強く要求したの。
中国では1911年に辛亥革命が起きてたから結構焦ってたわけね。陸軍は。
でも、さっきも話した通り明治末期の財政状況の悪化でさ。実業界や言論界、そして政党の間からは
軍拡の財源に国債の発行したりするのをよくない!!という声が多数あがってたの。景気悪いから借金増やすべきじゃないってね。
増税なんかしたら国民も大変だしね。
それで西園寺内閣は財政難を理由に二個師団増設要求を拒否したの。
ここまではOKかな?
帷幄上奏権とは?
それに怒った上原勇作元帥は何をしたかっていうと、単独で天皇に辞表を出す作戦に出たのね。
なんだよ、いあくじょうそうけんってよ!
って思うかもしれないね。うん、そうだね。
でも言葉の意味を覚えれば全然大丈夫。
帷幄 → 軍部
上奏 → 天皇に申し上げること
もうわかったでしょ。
陸軍大臣が単独で天皇に政治に関することを報告できる権利だね。これで上原勇作陸相は辞任。
巻き込まれて西園寺内閣は総辞職ってわけさ!
なんでわざわざ、上原勇作元帥と元帥つけて呼んでいたかというと
1909年に元帥には帷幄上奏権を認めるってのが決まってね。上原勇作は元帥だったので帷幄上奏権を行使できたの。
これには国民も結構反発して、護憲運動につながっていくよ。