昭和時代

内灘事件と砂川事件をわかりやすく。本格的な基地反対闘争。

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6年間も続いた吉田茂内閣は、サンフランシスコ平和条約を締結して日本の独立を回復してさ、

日米安全保障条約のもとで国防関係の経費負担を軽減したり、その功績はもちろん称賛されるべきなんだけど、

占領政策の後期となると、労働運動や運動に耐えられなくなってくるんだよね。

 

吉田氏茂内閣は造船疑獄事件で倒壊するけど、その頃の社会運動の例として米軍基地反対闘争があるんだ。

その中でも代表的なのが内灘事件と砂川事件なので、今回はこの2つの事件を見ていこう。

 

内灘事件とは?

1952年に石川県の内灘で起きた闘争。

当時は朝鮮戦争で日本は特需を迎えていた時代なんだけど、アメリカ軍の砲弾の需要がすごい高まっていてさ、

砲弾のテストをするために長ーい試射場が必要だったのね。

そこで「石川県の内灘がいいんじゃな??」という事で内灘に決定しちゃうの。

ちなみに石川県の内灘ってここね。

 

そりゃ近隣の人達からしたら、いきなり近くにアメリカ軍の砲弾のテスト場ができるなんて嫌だから反対運動をするのさ。

そこで鉄道の労働組合がストライキを起こしたりしてさ、これが内灘事件。

けが人とかは出ていないんだけど、全国的に米軍基地に対して反対する運動のきっかけになった事件だね。

1952~53年にかけて行われたよ。

 

砂川事件とは?

こちらも似たような話なんだけど、東京都立川市の砂川町ってところで

1956年に米軍基地の拡張に反対する運動が町人たちよって行われたんだ。

砂川町ってここね。

 

立川には米軍の飛行場があってさ。その基地拡大を阻止するために学生が運動を起こして、学生と警察が衝突する流血事件に発展したの。

基地反対闘争が一番盛り上がりを見せた事件だね。

 

大学受験の日本史では、内灘事件が基地反対闘争のきっかけで、砂川事件が基地反対闘争の最高潮だと覚えておけば、並び替え問題も完璧かな。

 

その他の社会運動には第五福竜丸事件もあるから、詳しくは『ビキニ水爆実験の特徴と被害とは?第五福竜丸事件についても。』の記事を読んでね。

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