新井白石・間部詮房による「正徳の治」。
その政策の一環として、「朝鮮通信使の待遇」を変更する、という政策を行った。
一体なぜこのようなことを行ったのか、詳しく見ていくよ。
朝鮮通信使って?
朝鮮通信使とは、1636年から朝鮮から将軍の代替わりごとに送られてくる「使節団」のこと。
豊臣秀吉が実権を握っていた時代、朝鮮出兵を行った為に日朝の関係は完全に切れていた。
しかし徳川家康が朝鮮との関係に興味を持ったことに端を発し、何とか国交の回復にこぎつけた。
そうして訪れるようになったのが、朝鮮通信使なのだ。
朝鮮通信使の待遇改訂
1636年に通信使としての最初の使節が訪れてから、将軍の代替わりには必ず使節団が送られてくることになったんだけど、これが来るたび幕府は多大な出費を強いられていた。
というのも、幕府は当時権威を示す一環として、朝鮮から使者が来るのを「朝鮮が日本に入貢しにやってきた」として国内に発信していた。
で、その入貢に訪れた(ということにしている)通信使の日本国内の旅費を全て出してやることでかっこつけようとしていたわけだ。
彼女の前でかっこつけて奢ろうとする、貧乏男子学生を想像してみると分かりやすい。
貧乏なのに奢ろうとするから、なおさら財政は悪化する。
これを憂いた新井白石は、「通信使の待遇をもうちょっと簡単にして経費削減しましょうや」と提案したんだ。
よく教科書では、国書の「大君」表記を「国王」表記に直したというようなところばかりクローズアップされている。
もちろんそういった意味で待遇改訂を行った部分もあるんだけど、新井白石がやりたかったのは幕府の財政難脱却だったんだ。
まとめ
朝鮮通信使待遇改訂で、新井白石は無駄な経費を削減しようとした。
お金もないのに見栄だけ張っていたら、いずれ自分の首を絞めてしまうと分かっていたんだね。