前回は、秀吉の出した「惣無事令」について見てきたね。
東北地方・九州地方の大名たちに「戦争するなよ!もし勝手に戦争したらシバく!!」という内容だったわけだ。
でも、血気盛んな大名たちはこれを守る人は少ない気がするよね。
実際、九州の島津氏、関東の北条氏が無視して暴れてしまった。
惣無事令を出された東北地方の大名の反応
豊臣秀吉が惣無事令を出したとき、東北地方には強力な武将がまだ多くいた。
中でも奥州の伊達政宗や、北条氏、最上義光などがいた。
このうち、北条は「なーにが惣無事令だよ!サルが言っていることなんて無視無視!」って感じだったんだけど、伊達政宗や最上義光は「まじかよ・・・。秀吉クッソ強いらしいからな・・・あんま逆らわない方がいいかなあ」と悩んでいた。
そんな中で、北条氏が豊臣方であった真田氏に攻撃を仕掛ける。
これを惣無事令違反とみなした秀吉は北条氏を討伐しに向かう。
小田原攻め
北条軍と秀吉軍の戦いで一番激しかったのは、小田原城での戦い。
小田原城は非常に守りが固く、秀吉の大軍で包囲してもなお落城しなかった。
その間にも秀吉は降伏を勧告したんだけど、最後の最後まで戦い抜こうとした。
しかし伊達政宗や最上義光は最終的に豊臣軍についたため北条を援護するものはいない。
こうして北条氏は降伏、北条氏政は切腹した。
まとめ
小田原攻めを成功させたことで、ついに東北地方も制圧してしまう。
これによって秀吉の天下統一は見事、完了。
こうして秀吉は天下統一を成し遂げた天下人となった。