前回は、秀吉の天下統一完了について見てきたね。
東北地方の有力大名・伊達政宗らを味方につけ、北条氏を撃破したことで東北地方から九州地方までを制覇したんだった。
秀吉が天下人だった時の諸政策については後日また説明するね。
今回は、天下を取った後に秀吉が行った大きな戦い、「文禄の役」について見ていこう。
なんで朝鮮侵攻をしようとしたの?
実は、秀吉がなんで朝鮮を攻めようとしたのかははっきりわかっていない。
日本を制覇したのに飽き足らず、朝鮮を攻めにいったのか・・・家臣たちへの給料である土地を増やすために攻めたのか・・・。
いずれにせよ、秀吉は朝鮮を攻めるべく朝鮮に対して「日本に服従しなさい」と命じる。
当然だけど朝鮮は拒否する。
これを機に、秀吉は朝鮮出兵を行う。
文禄の役と結果
朝鮮侵略に参加した武将は島津氏・毛利氏・長宗我部氏などなど・・・。総勢15万の強大な軍隊で攻め入った。
朝鮮自体は軍備が整っていなかったので、豊臣軍にいいようにやられてしまう。釜山や首都の漢城を次々落としていく。
しかし、ここで明(中国)が援軍を送ってくる。
さらに、朝鮮水軍(海軍)の優れた司令官のひとり、李舜臣(りしゅんしん)という人物も登場。
(李舜臣はこの時、部隊長的な立場だった。文禄の役のあと、これまでの功績が認められて後々朝鮮水軍トップにまで昇進する。)
李舜臣率いる朝鮮水軍は、亀甲船と呼ばれる亀の甲羅のような鉄板のシールドをつけた船で日本―朝鮮を結ぶ補給ルートを破壊。
兵たちの食糧を運べなくなった豊臣軍はさすがに撤退を余儀なくされる。
まとめ
最初は調子が良かった秀吉の朝鮮侵略なんだけど、明の介入で失敗してしまった。
これで秀吉の朝鮮侵略はいったん終了・・・かと思いきや。