さて、今回は“東洲斎写楽は役者絵の異端児であり、「謎多き絵師」”の後編だ。
謎多き写楽の作品は、実に個性的なものばかり。
しかし、当時の民衆にはあまり受け入れられなかった、という。
詳しく見ていこう。
写楽の作品
写楽の書いた浮世絵は、主に「役者絵」と「相撲絵」だ。
役者絵とは、歌舞伎役者の似顔絵を描いたもので、相撲絵は力士の似顔絵や土俵入りを描いたもの。
写楽の書いた浮世絵は、俗にいう「上手い絵」というわけじゃない。
彼の描く役者絵や相撲絵は、実際当時の庶民たちに不人気だった。
というのも、役者絵や相撲絵は「役者の特徴をとらえつつも美しく、かつリアルに描く」ことが大前提だった。
写楽の絵は、リアルに描くのではなくデフォルメして、目元や口元などの表情を大げさに書き、さらには斬新なポーズをとらせたものだった。
あまりに個性的かつ印象的で、大衆には受け入れられなかったんだ。
そんな写楽の一番有名な作品はこれ。
- 『大谷鬼次の奴江戸兵衛』
よくよく見てみると「手どうなってんだ!?」「姿勢おかしくね!?」と気が付く部分もあるけど、それよりも先に「おお・・・!」と唸ってしまうようなインパクトがあるよね。
これが写楽の作品の魅力なんだ。
まとめ
写楽は、実際「ど素人」だったといわれている。
しかし、絵の本当の良さは上手さよりも「味」で決まる。(らしい。)
だからこそ、写楽は現代において個性派の画家として人気なんだ。
そう考えると、写楽の描いた『大谷鬼次の奴江戸兵衛』は「ヘタウマ」とか「ビギナーズラック」による産物なのかもしれないね。
実際、10か月のうち最初のころに出た作品が一番個性的で、終わりの方になると急激に画力が衰えたと言われている。