さて、今回は少し時間を進めて、9代将軍・徳川家重について見ていこう。
いやー、この将軍、ほとんど教科書でスルーされがちだから影がうすい。
だけど将軍家の中ではとても異色の人物だった。
詳しく見ていこう。
引きこもり・酒浸りの幼少期
家重は8代将軍。徳川吉宗の第一子として生まれたんだけど、どうやら彼は「脳性麻痺」という病気を患っていたらしい。
この脳性麻痺っていうのは何らかの原因で、お母さんのおなかの中にいるときに脳に障害を負ってしまうことで起こる病気。
このため、発話に障害があったという。
このせいで家重は大奥に引きこもりがちになってしまった。
加えてお酒にもおぼれるようになってしまい、不健康な生活を送っていた。
さらにさらに、伝統芸能である能が大好きで現を抜かしていたせいで優秀な弟と比較され、将軍に適してないんじゃないの?とまで言われるようになってしまった。
しかし、のち生まれる家重の息子・家治がめちゃくちゃ頭の切れる子供だったんで、その家治を後に将軍にするため、家重は将軍職につくことになる。
家重を支えた側用人・大岡忠光
発話障害に加えて健康を害したこともあり、周りの人たちは本当に将軍の言っていることがわからなかった。
そんな中ただ一人だけ、家重の言いたいことがわかる人物がいた。
それが、側用人・大岡忠光。
家重の言いたいことがわかるのはこの人だけだったから、一番重用された。
大岡忠光は側用人として大きな権力を持ったけど、生涯権力を濫用することは無かったらしい。
ピンと来ている人もいるかもしれないけど、この大岡忠光は「足高の制」で登用されたことで有名な大岡忠相の親戚。
大岡の家系は有能ぞろいだね。
まとめ
徳川家重は体に数々の難題を抱えながらも、周りの助けを借りながらなんとか将軍職を務めた。
徳川の将軍の中でもとびきり異色の将軍だったんだね。