前回は大政奉還について話したね。
薩長に武力行使でやられる前に、政権を朝廷に返しちゃえ!っていう徳川慶喜の作戦だったね。
穏健派の土佐藩、山内豊信のアドバイスのもと1867年10月14日に起きた出来事だったね。
実はこの大政奉還の前日と当日に、薩長は討幕の密勅を手に入れてたんだよね。
討幕の密勅とは
徳川慶喜やっちゃっていいよ。ユー!やっちゃいないよ by 朝廷
これが討幕の密勅だね。
大政奉還も討幕の密勅もさ、もちろんいきなり起きたわけじゃないからね!
日本史勉強していると出来事だけしか学ばないから、
「やられる前に大政奉還!?すげぇぇーー!!」
「大政奉還の同日に討幕の密勅!?すげぇぇーー!!」
って思っちゃうところだけど、実際は何日か、何十日かの月日をかけて熟成していった出来事なんだよ。
まずね、大政奉還って10月14日だったじゃん?
10月には、討幕を決意した薩長両藩士が大坂、京都に続々と挙兵してるのね。前入り的なね!
江戸幕府はその様子もちゃんとみているわけだからさ、土佐藩の山内豊信としては、「ほらほら、こんなに討幕しようとしてますよ。やられる前に大政奉還しましょうよ!」とね。
で、1週間前の10月8日に討幕の密勅の準備は着々と進んでてさ、
やっとこさ、14日に討幕の密勅が手に渡った時に、慶喜が大政奉還しちゃったわけ。
偽造説
この討幕の密勅は偽造っていうか、正式には偽勅節があるんだよ。勅ってのは天王の命令のことね。
だって孝明天皇亡くなっているしさ。子供の天皇がどうやって密勅出すのよ。と。それに手続きもめっちゃ早かったから、まぁ偽勅だよね、普通に考えて!ってのが世間一般の認識なんだよね。
実際は公卿の岩倉具視が主導していたの。
この後の流れ。
大政奉還の翌日に朝廷で受理され260年続いた江戸幕府は滅亡したわけだ。
でも、普通に考えて今日滅亡したから、明日からはナシね!とはいかないでしょ。
そんな簡単に終わらせられないわけだ。
だから、江戸幕府ってのは大政奉還をした後も「旧幕府」ということで依然として強い勢力を持っていたわけだね。
そんな状況にもちろん薩長はおもしろくないわけじゃん。だから、戊辰戦争へと繋がっていくわけなんだよ!
いいかい。ここがクリアになれば、明治の始まりは獲ったようなもんだよ。しっかりと理解しておこう。