平安時代

知行国の制度とは?図で簡単にわかりやすく。院宮分国制との関係も

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今回の記事は、前回見てきた延久の荘園整理令にはじまる、「荘園公領制」と関係がある。

 

荘園公領制の成り立ちについてまだよくわかっていない人は、前回の記事を読んでからこの記事を読むとわかりやすいと思う。(https://jahistory.com/enkyu-no-syouen-seiri-rei/

 

で、今回は荘園公領制が成立した後の「公領」が、どうなっていったのかについて詳しく見ていく。

「知行国」って制度なんだけどね。

荘園制のおさらい

 

復習がてら、(寄進地系)荘園の仕組みは下の図の通り。

 

荘官は領家に、領家は本家に一定の税を納める代わりに、領家・荘官は土地や権利を本家に守ってもらえるわけだ。

 

この「守ってもらえる」という部分に注目してほしい。

寄進地系荘園って、何から守るために生まれたんだっけ?

 

そう、国司たちによる過酷な徴税だよね。

 

朝廷は荘園が増えてきたことで税収が減ってきたんで、国司たちに徴税を厳しくするよう命じた。

しかし荘園側は増税が嫌なので、名門一族に寄進する代わりに権力パワーで税負担を逃れたんだったね。

 

 

じゃあさ、荘園から税をとれなくなった朝廷はどうなってしまうのよ、って話になるよね。

 

知行国制とは?

 

国司が荘園から税を徴収するのが難しくなる、ということは・・・。

当然、朝廷の税収が少なくなるということだよね。

 

すると朝廷で働いている官僚たちのうち、荘園を寄進されてない官僚たちの給料はどんどん減っていくことになる。

荘園制が根付いてしまった以上、荘園から無理やり税を取ってどうこうする、ってのはもう通用しない。

 

ってなわけで、朝廷は官僚に給料の代わりとして国(知行国)を与える」という方針に転換した。

 

知行国を与えられた官僚は知行国主となり、

  • その国の国司を好き勝手任命する権利
  • その国の税収を自分のものにできる権利

の2つの権利を得た。

 

どういうことなのか、図にして確認してみよう。

 

 

荘園公領制に移行した際、荘園は

この仕組み。さっきの図と同じね。

 

で、公領はどうなっていたのかというと

 

こう。

まあ昔からこうだったよね。

 

これが知行国制になると、国司が朝廷によって任命されるのではなく、知行国主から任命されるようになる。

そして納税先も朝廷から知行国主へ変わるので、

 

こうなる。

図にしてみると案外シンプルでしょ?

 

役職の名前や公領・私領などいろいろ違いはあるけど、「下から税を徴収して最後は上流階級の貴族・官僚へ」という根本的な仕組み自体は、荘園制とあまり変わらないよね。

 

荘園は「寄進地系荘園」、公領は「知行国」という似通った仕組みで成り立っていたのが、荘園公領制なんだ。

 

おまけ:院宮分国制とは?

 

よく知行国の制度を勉強する際、一緒になって出てくることがあるのが「院宮分国制」

 

まあ一緒に出てくることからも察しが付くと思うんだけど、知行国制と院宮分国制は関係がとても深い。

 

実はこの院宮分国制、知行国制が生まれるもと・・になった制度なんだ。

 

院宮分国制は、仕組み自体はさっき説明した知行国制と同じで、「知行国主」のとこが「院/女院/中宮」に変わる。

院は上皇、女院は上皇の奥さん、中宮は天皇の奥さんのことね。

 

要するに院宮分国制は知行国制のプロトタイプってわけ。

 

元々、院宮分国制は10世紀前半位から始まった、国公認の制度。

で、11世紀に入るとこの制度がなし崩し的に、皇族以外の貴族にも広まっていって「知行国制」が定着することになる。

 

ちなみに院宮分国制はこれから説明していく「院政」にも関係しているよ。

院宮分国制によって院が多くの公領から税収を得られたので、院の財政が維持できたんだ。

 

まあこの辺は今後詳しく見ていくから、少々お待ちを。

 

 

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