前回は島原の乱とその後の流れについて見てきたね。
幕府がキリスト教をなぜ恐れていたか。それは、
①スペインやポルトガルの「キリスト教を使って日本を侵略してやろう」という魂胆が見え隠れしていたから
②キリスト教徒の国民に団結されると危険だから
という理由。
で、結局その恐れていたことが現実になっちゃったんだよね(島原の乱)。
さて、今回の事件を受けて幕府はどんな対策を打ったのか!詳しく見ていこう。
寺請制度とは
さて、寺請制度は一体どういう制度なのか。
この制度は、寺院に国民を「檀家」として所属させ、その際「寺請証文」を発行してもらう、というもの。なんだかよく分からない言葉ばかりだね。
まず「檀家(制度)」っていうのは、「ある一家で行われるお葬式や法要を、決められた一つの寺院(檀那寺)が執り行うよ」というもの。
さらに「寺請証文」は、結婚や奉公、旅行などに行く際に檀那寺から発行される「身分証明書」のこと。
つまり、何かするには寺請証文が必要→檀那寺がないと発行してもらえない→寺院の檀家となるしかない
という流れで、国民がキリシタンにならないようにしたんだ。
次に宗門改め。これ何かっていうと、「国民に対する信仰調査」。踏絵はキリシタンの多かった九州で行われたけど、この宗門改めは全国的に行われたよ。そして、この調査結果は宗門改帳っていう名簿に記された。
本末制度とは
寺請制度は「民衆」に対してだったけれど、この制度は「お坊さんたち」に対する統制だよ。
この制度がは何かというと、ある宗派の中心となる寺院を「本山」、その支配下となる「末寺」として寺院間で統制させようとしたもの。これを本末関係と言うよ。現代チックに言えば係長とその部下みたいな感じ?(笑)厳密にはちょっと違うけど。
さて。今見てきたような「寺請制度」、「本末制度」によって、幕府は宗教統制を強めていったんだ。
次回、もうちょっとだけ幕府の宗教統制について説明するよ!