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寺内正毅は宇多田ヒカルと関係。ビリケン内閣は米騒動で総辞職。

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人物シリーズ!

今日は第二次大隈内閣のあとに組閣した寺内内閣。寺内正毅だね。

 

なんと!全然知らなかったんだけど、歌手の宇多田ヒカルっているじゃん?最近の高校生って宇多田ヒカルわかる??

30代の私としてはバリバリの宇多田ヒカル世代なんだけど、宇多田ヒカルは寺内正毅の曾姪孫なんだって。

曾姪孫(そうてっそん)ってのは、自分の兄弟姉妹のひ孫に当たる親戚関係。

すごいねー。宇多田ヒカルって親戚に内閣総理大臣がいたのかって話。

 

今回はこの寺内正毅についてみていこう。

 

寺内正毅はビリケン内閣と呼ばれた。

昔の人の言葉遊びって本当に面白いよね。

親父ギャグはそりゃなくならんわ!

寺内正毅は当時アメリカから渡ってきた神像のビリケンに似ている事から、ビリケン内閣って呼ばれていたのね。

 

ビリケン

ビリケン

・・・非立憲!!

 

そう、それだ!第二次大隈内閣の後に組閣した、寺内正毅は陸軍出身の人物。戦争時という事もあって、軍部や官僚の後ろ盾で寺内正毅は内閣総理大臣になったんだけども、

当時は大正デモクラシーブーム。

どこが民主主義やねん!

非立憲的だ!

ひりっけんてき!

ひりけん

ビリケン!!

ビリケンみたいな顔しやがって!!

 

という事なんだ。冗談じゃなくてマジの話ね。

 

大学受験の日本史で考えるのであれば、寺内正毅は桂内閣時の陸相って覚えておいて欲しいな。

あとは、西原借款って言って、1917~1918年にかけて、西原亀三を中国に派遣して中国の段祺瑞政権にお金を貸してあげたよ。

お金を貸してあげたって言っても中国からさまざまな利権を獲得するための政治的な狙いがもちろんあったけどもね。

 

話を戻すと、寺内正毅はビリケン内閣と呼ばれ、当時の大正デモクラシーの的にされちゃったわけ。

 

そして米騒動で総辞職したのさ。

 

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