明治時代

寺島宗則の条約改正。

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さて、前回の条約改正の大きな流れについて学んだね。

イテイオアムコ!イテイオアムコ!イテイオアムコ!

もう覚えたかな。この条約改正の中だと、ちょっとばかし地味な人物なんだけども・・・寺島宗則についていってみよう。

寺島宗則(てらしまむねのり)の条約改正

寺島宗則は薩摩出身の人物で、外国語が堪能だったんだよ。

英語を独学で覚えた!ってんだから、ビックリで。江戸時代日本は蘭学が盛んだったから、オランダ語の方が勉強している人が多かったの。

寺島宗則もご多分に漏れず、オランダ語を勉強していたわけなんだけども・・・

遣欧使節でヨーロッパを訪れた時に、

『なんだよ・・・オランダ語って重要じゃないんじゃん・・・』

って気づいた人物だね。

 

 

これらの経験を生かして、明治維新後に外交官になるよ。

条約改正に臨む人物ってのは外国語が堪能じゃないといけないし、海外の諸外国の状況ってのもいち早くキャッチしないといけないもんね。

 

寺島宗則は、

アメリカの同意を獲得したが、イギリス・ドイツは無理だった!!

この点が日本史で覚えておくべきポイントだね。

 

当時、日本国内は財政難だったから、日本の経済を少しでもよくするために、なんとか関税自主権を回復させたかたったわけなのね。

寺島宗則も関税自主権の回復のために諸外国と交渉するわけ。

岩倉具視も寺島宗則も条約改正は達成できなかったわけだ。

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