さて前回は天誅組の変についてお話ししたよ。
尊王攘夷運動が地方でも激化して、武力行使の先駆けとしてお話ししたよね。他にも天狗党の乱ってのがあってね。
こっちは水戸藩なんだけど、攘夷運動っていちいち名前がかっこいいんだよな。
天誅に天狗だぜ。天誅組は変なんだけど、天狗党は乱なんだよね。変と乱の違いはどっかのタイミングで話すけど、間違えないようにな。
天狗党の乱とは
まずね。水戸藩ってところが非常に重要なの。
「この紋所が目に入らぬかー!!」
ってご存知だよね。水戸光圀(みとみつくに)、通称水戸黄門だね。この水戸光圀が江戸時代に「大日本史」って本を書いててさ。天皇の重要性を徐々にみんなに知らしめていったんだよね。水戸学、朱子学で尊王論が高揚してきたって話したでしょ。
だから、水戸藩には熱心な攘夷派がいてね。
水戸藩の攘夷派が、「天狗党」なの。
ここら辺がわかるとさ。将軍継嗣問題で井伊直弼と徳川斉昭(なりあき)がバチバチやってたのがわかるでしょ。
水戸藩ってのは攘夷派が多いんだよ。
そんな天狗党なんだけども、京都にいる一橋慶喜の力を借りて、常陸国で挙兵するのね。
武田耕雲斎(たけだこううんさい)=天狗党の首領
藤田小四郎(ふじたこしろう)=天狗党の実質上の指導者。あの藤田東湖の四男
この天狗党の乱は諸藩の兵たちの討伐されるよ。
で、負けちゃうのね。
ただ負けちゃうだけなら、わかるんだけど、物凄く処刑されるのね。安政の大獄の時に処刑されたのは8人くらいだけど、天狗党の乱は300名以上処刑されるね。
攘夷派に対してこれだけの処刑をするってのは、江戸幕府 VS 攘夷派の戦いがヒートアップしてきたを物語っているよね。
水戸藩は、天狗党が処刑されたことによって保守派の諸政党が実験を握る形になるよ。