今日は明治時代の啓蒙思想家である加藤弘之についてだよ。
この人は本当に面白い人でね。当初は、「人間みな平等!」という、福沢諭吉や中村正直と同じ立場を取るんだけど、「いやいや国家でしょ!」と考えを改めちゃう人なんだよ。
でも、天賦人権説を最初は進めた張本人だからさ。そこんとこ覚えておいてよ。
加藤弘之の広めた天賦人権論とは?
人間は生まれながらに自由平等!幸福を求める権利がある!!
というのが天賦人権論(=天賦人権思想)というものだね。
イギリスやフランスで栄えた啓蒙思想で、フランスはルソー、イギリスはミルなんかが有名だよね。
加藤弘之は、この天賦人権論を日本に広めた人物なんだわ。
明治維新の後に、『真政大意』『国体新論』という彼の書物の中で、「人間はみんな平等だよね。」「幸福を求めるのって素晴らしいよね。」と書いているの。
この頃は、
「四民平等で人々は平等になったのに、いまだ元えた・ひにんを差別しているなんて恥ずかしい!!」
と超かっこいいこと言ってんのね、加藤弘之は。なんだって天賦人権論者だからさ。
でもね、明治7年の民選議員設立運動が盛んになってきた時に、国学系の志士に
「そういった主張はやめなよ」
って強く迫られるのね。もともと自由民権論者としての限界を感じてた、加藤弘之は方向転換して社会的ダーウィニズムに傾倒するのね。
ダーウィンの進化論って、強いものが生き残り、弱いものは淘汰される!って主張じゃん。
だから加藤弘之、社会進化論を唱えて、
「適者生存、優勝劣敗」
の視点から、社会的有機体説を説き始めるの。ようは
天賦人権論なんて嘘だよ!国家の利益を優先しなきゃダメ!!!!
と180度、考えを変えちゃうんだよね。おもしろいよね。まぁ社会の流もありましたし、東京大学の総理にもなっている人だからね、いろいろあるんでしょ。
加藤弘之
天賦人権論 → 国家主義思想
この気持ちの変化だけは覚えておいてよ。