前回、10代将軍・徳川家治について見てきたね。
家治は優秀ではあったんだけど、その政治のほとんどを田沼意次に任せっきりだった。
じゃあその田沼意次ってどんな政治をしてたの?と気になるところ。
今回は、田沼意次についてざっくりと要点だけまとめていくよ。
田沼意次は前衛的な経済政策をしていた
田沼意次の時代にあってもなお、幕府の財政難は続いていた。
幕府の収入源となっていたのは年貢による「米」。
しかし農村部は疲弊しているし、このころ起こっていた大飢饉(大凶作)や米の価格乱高下によって、これ以上年貢増徴で幕府の収入を増やすのは不可能に近かった。
そこで意次が目を付けたのは、「商人」。
江戸や大坂で利益を出している商人たちから、もっと税金取ればいいんじゃないかと考えたんだ。
田沼意次の改革前は、商人には大して税金をかけていなかったんだ(幕府の収入は米だから、その生産元である農村部から増税することしか考えてなかった)。
とはいえ、商人たちに何のメリットも与えず「おら税金よこせ!」と言っても反発を食らうだけ。
だから幕府はあるメリットを与える。
「株仲間」を組ませ、営業権を独占させたんだ。
営業の独占で商人たちの利益をさらに上昇させ、その代わりとして営業税をとる。
こうして商人の税金を増税することに成功した。
このほか意次は、ロシアとの貿易を画策したり、蝦夷地(北海道)の開発をして税収を増やそうとした。
田沼政治の悪影響
田沼政治によって、経済は非常に発展した。
商人たちを手厚く保護したから、商人たちがとっても潤っていったんだ。
これに対し、農村部は度重なる飢饉や浅間山の大噴火などで打撃を受け、どんどん荒廃していった。
農民たちは農業をやっていても生活すらままならないので、貧困にあえぐ農民は潤っている都市部に流れ込んできてますます農村は荒廃した。
意次は商人を重視していたから、農村部への対応が手薄になっていたことも原因。
また、意次の行った経済政策は「お金」を重要視していた。
これは当時ではとても先進的な考え方だった。
というのも江戸初期から「米こそが高貴なもので、金は卑しいもの」とする考え方があって、保守的な人々からは批判が相次いだ。
また商人たちを保護しすぎて賄賂が横行したこともあって「意次の政治は悪政だった!」とする人たちも多かった。
まとめ
田沼意次の経済政策によって、なんと幕府の資産は綱吉の時代以来最高額となる171万7529両となった。
幕府の財政再建は成功していたんだ。
ただ一方でこの前衛的な政策に対して不満を持つ人たちも現れ、農村部は急激に荒れていってしまった。
次回からは、田沼意次の行った政治を一つ一つ丁寧に見ていくよ。