人物

田中義一内閣はモラトリアムを発する。昭和天皇に叱責されるも腹上死疑惑。

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人物シリーズ。

震災手形の処理と大臣の失言で銀行に預金を降ろしまくる取り付け騒ぎが起きたよね。

若槻礼次郎内閣は台湾銀行を救済しようと緊急勅令を出したけども頭の固い枢密院は憲法違反だと拒否!

若槻礼次郎内閣は総辞職したわけだけど、その後の総理大臣になったのが田中義一。

この人はなかなか面白い人でね~。

高校生には刺激が強い内容かもしれないけど、後でちょっとだけ話すね。

 

田中義一内閣のモラトリアム

まず、田中義一は軍人出身の人物で1925年に退役後、立憲政友界の総裁となっているよ。

だから田中義一内閣は立憲政友会内閣と覚えておこう。

田中義一内閣の時の蔵相は、高橋是清。ダルマさんだね。

 

ダルマさんは事を金融恐慌を鎮めるために、モラトリアム(支払猶予令)を出して、3週間全国の銀行を休業させたんだ。

日本銀行は20億円ちかくの非常貸し出しを行ってなんとか恐慌をしのいだんだね。

 

三・一五事件

田中義一が内閣総理大臣を務めている時期に、第一回普通選挙が行われたんだよ。

普通選挙法は1925年に制定されたんだけど、実施されたのは1928年の事で有権者は1,250万人。それまでの4倍にまで膨れ上がったんだ。

その頃、共産党の人達の動きが活発になってきていて、共産党内部でも激しく対立するくらいになっていたんだ。

 

共産主義てのはロシアで誕生した主義だけど、元々は資本家を殺すってのが根底にある考えで労働者の権利を求める流れでできた思想だから、

当時の劣悪な労働環境だったりとか、大戦景気で資本家が富を成している様子とかで日本でも発達していったんだね。

 

1928年の第一回普通選挙に当たって、共産党系の活動があまりも活発だったため

田中義一内閣は共産党系の活動者とその同調者を大量に検挙したんだ。これが三・一五事件。三・一五事件では共産党指導下の三団体を解散させたよ。

翌年の4月には再び共産党員を弾圧して、400名近くを逮捕したんだ。これが四・一六事件だね。

 

治安維持法の改正

上記の三・一五事件をきっかけにして田中義一内閣は治安維持法を改正するために、緊急勅令を出すの。

治安維持法の最高刑を死刑にできるように改正したよ。

つまり、国体を変革して政府にたてつこうとするような革命家は死刑にできるという事だね。

 

張作霖爆殺事件で辞職

田中義一内閣は張作霖爆殺事件で責任を取って辞職するんだけど、

その時に昭和天皇に怒られるのね。田中義一にが天皇に上奏して、犯人を厳正に処罰するとか一刻も早く事件を解明するって言ってたんだけど、全然そんな事無かったから。

で、結局、田中義一内閣は総辞職するんだけど、もともと狭心症を持ってた田中義一は3か月後に突然死しちゃうんだ。

 

昭和天皇は厳しく怒った相手が突然亡くなったから、可哀想なことをしたと責任を感じるんだよね。

でも、田中義一の死は腹上死なんじゃないかとも言われているよ。

その・・・あれ・・・最中に亡くなっちゃうことね。

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