人物

ダルマと呼ばれた高橋是清の経済政策と二・二六事件での暗殺。

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今日も人物シリーズだ。

初の政党内閣として期待された原敬内閣だったけども、1920年の恐慌と普通選挙は時期尚早として普通選挙を求める国民の声を聞かずに

悲しくも暗殺されてしまったね。

実は、その後高橋是清がちょっとだけ総理大臣を務めるんだけども、高橋是清は首相としてよりも、大蔵大臣としての評価が非常に高いんだ。

見た目がダルマさんみたいな事から、ダルマ蔵相として愛されていたんだ。

でも悲しきかな。原敬に続いて総理大臣を務めた高橋是清もまた二・二六事件で暗殺されてしまうんだね。

 

高橋是清はその愛されキャラと功績からネット上で様々な情報が出てくると思うけど、

ご存知このブログは大学受験の日本史を極めるブログ。大学受験に必要な知識だけピックアップしていこう。

 

高橋是清とは?

原敬が暗殺された時に高橋是清は蔵相を務めていたよ。

高橋是清は1911年に日銀総裁になっているよ。1904年の日露戦争で日本のお金が足りなくて困っている時に国債を発行して資金調達をしたんだね。

その功績を買われて1911年に日銀総裁になったの。

 

その後政界に入ってきた高橋是清だけど、原敬内閣語後に、ほんの半年くらいだけ総理大臣をやってるんだよね。

当時立憲政友会の内部はもめにもめてたからそれが原因で総辞職しちゃったんだ。これが1922年の話。

 

ちょっと時代は飛んで、高橋是清が活躍するのは1931年の犬養毅内閣の時。

大正デモクラシーも落ち着いてというよりも、1920年から戦後恐慌、1929年から世界恐慌と続いて、ものすごく景気が悪くなっていったよね。

そこで軍部が台頭してきて政治を乗っ取られちゃったじゃん?

その真っ只中の時に、高橋是清は蔵相として今のアベノミクスと原型となる経済政策を実施するよ。

具体的には金輸出再禁止や国債の発行だね。

この政策で1931年から実は日本の景気はちょっと回復したんだ。ただずっと国債発行し続けるわけにもいかないし、

予算編成をしながら、急激なインフレを抑えようとしていくんだけど、軍部は『もっと予算くれ!!』と高橋是清と対立するんだね。

軍部は大陸進出をしたがっていたから、予算が欲しい。高橋是清はインフレを抑えるために国債を減らしていこうとする。

そして、軍部のクーデーター二・二六事件で暗殺されてしまったんだ。

 

 

 

 

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