人間は不都合なことがあると理由を求める生き物だ。
辛いことをしているときは「将来楽になるための試練なんだ!」とか
嫌な人間がいたら「絶対にあの人は将来嫌なことが起こるに違いない」とか
失敗したら「さらに成長するきっかけが得られた」とか。
でもほとんどの出来事には意味がない。
不都合なときにひねりだす理由はたいてい嘘で塗り固められている。
あるいは嘘だということは百も承知で自分に暗示をかけているのかもしれない。
パンドラの箱に最後に残ったものが希望であるように、災いの最中にすがるのはたとえ嘘であっても希望なのかもしれない。
第一次世界大戦という災いの中で人々が見出したのはデモクラシーという希望であった。
この世界全体からの影響をみてから、日本の大正デモクラシーに取りかかろう!
デモクラシーの影響
第一次世界大戦の最中、連合国側の人々は戦争の正当化を求めた。
なにか大義がなければ命を犠牲にしてまでも戦えないからね。
ドイツには、ドイツと密接なつながりのあるオーストリアが侮辱されたという正当な理由があった。
世界史をやったことがないとわかりにくいけれど、ドイツとオーストリアは切り離せない関係なんだ。
音楽なんかでもドイツ人のモーツァルトが活躍したのはオーストリアのウィーン。
一つの国という意識はなかったけれど、一緒に文化を形成してきた地域なんだ。
でも三国協商と連合国には大した理由はない。
単純に力を強めるドイツを止めるだけ、という消極的な理由しかないんだ。
だから誇りをもって戦える大義が欲しいね。
正確にこのことを理由にできないけれど、なにかこういった心理や政府の意図があったと思うんだ。
それが、デモクラシー(民主主義)対オートクラシー(専制主義)。
ドイツとオーストリアの専制主義から世界を守るために、デモクラシーの国々が戦う!!!!
こうやって第一次世界大戦中に世界でデモクラシーが流行したんだ。
あんまり真剣に第一次世界大戦に参加していない日本にも、このような影響はやってくるよ。
それが、
大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)!!
大正は1912年からで、第一次世界大戦は1914年からだったね。
世界のデモクラシーの流行の日本への影響が大正デモクラシーなんだ。
民本主義とそれを唱えた人物
でも日本は国民主権ではなく、天皇主権であったから、デモクラシーつまり民主主義との違いを認めながら受容しないといけない。
そこで提唱されたのが
民本主義(みんぽんしゅぎ)!!
唱えた人物は
吉野作蔵(よしのさくぞう)!!!
『中央公論』で発表されたよ。
民本主義と民主主義の違いは?と思ってしまうけれど、ほとんど違いはないんだ。
国民みんなが平等に幸福を追求できる国にしよう!というもの。
普通選挙をやってその結果に基づいて政治をやろうよ!という考え方なんだ。
ただ違うのは民主主義が国民主権で、民本主義は天皇主権だよというだけ。
天皇機関説とそれを唱えた人物
でもここで問題になって来るのがそれじゃあ、天皇主権ってなんなの?という考え方だね。
これが
天皇機関説(てんのうきかんせつ)!!
または
国家法人説(こっかほうじんせつ)
ともいうよ。
これを唱えた人は
美濃部達吉(みのべたつきち)!!
天皇主権といっても天皇になんでもできる権利が与えられているわけではなくて、
あくまで法人である国家の代表なんだよ、という考え方。
もちろんこの考えは批判をされたりするけれど、民主主義的な思想が日本にも芽生え始めたんだ!
これが、大正デモクラシーね。