今日も阿部正弘だよ。老中ね。
ペリーと日米和親条約を1854年に結んだ阿部正弘だけども、徳富蘇峰に「あいつは八方美人、優柔不断だし」って言われちゃったよね。
慣行を見直して、幕府の政治に口出ししない親藩や外様にまで意見を求めたからそりゃしょうがないのかな~なんて思うけども、「大船建造の禁」を解禁したのも正弘なんだよ。
なんだかんだで改革派ね。正弘は。
今日は鎖国時代にあった大船建造の禁について話すね。正弘すげぇから。
大船建造の禁ってな~に?
大きい船作っちゃダメー!!!
ってこと。朱印船貿易とかって覚えてる?日本はね、船作って積極的に貿易してたんだよ。
でも江戸時代に入って一転するよね。
スペインやポルトガル人のキリスト教布教がうぜぇからさ。そんな奴らに染まらないように、
・日本人は外国行っちゃダメ
・外国にいる日本人も帰って来ちゃダメ
という罰ゲーム的なことするよね。そう鎖国。1639年に鎖国は完成するんだけども、「サンキュー、鎖国!!」が覚え方だったよね。
この流れがあるから、「大船建造の禁」ってのが出されていたわけ。ちなみに、武家諸法度に書いてあるんだよ。
大船建造の禁解禁!
これがペリー来航を機に解禁されるわけ。解禁したのは我らが阿部正弘。
逆に江戸幕府は欧米諸国に追いつき追い越せ!ってことで諸藩に様式軍艦を作らせる
大船建造奨励
を行ったくらいだよ。
まぁ、今まで大きな船を作ることを禁止していたわけだから、今日からは作ってもいいよ!と言ったところで作れないよね。技術もないし。
だから阿部正弘は日本お軍事力を高めるために以下のようなことをやってったわけだね。
品川に台場設置
台場ってのは大砲を据え付ける砲台のことね。幕末期には1000箇所くらいあったってんだから驚きだ。
まぁ1810年頃から台場ってのはかなりできてたんだけども、ペリー来航を機に増やしたわけね。
この品川台場ってのはロシアの北方侵略に対して作ったんだよ。(使わなかったけど)
蕃書調所
幕府の洋学を研究したり、翻訳するところね。蘭学だけでなく、英学も勉強したよ。1853年のことだね。
ちょっと面倒くさいんだけど、1863年には開成所って名前に変わってるねー。
講武所
剣術とか砲術を学ぶところね。
海軍伝習所
前から仲良しだったオランダが、軍艦観光丸(スンビン号)をくれたから、それを使って海軍について訓練した場所ね。
オランダ太っ腹だよね。寄贈だから。勝海舟とか榎本武揚も参加したよ。