安土桃山時代

豊臣秀吉の行った「太閤検地」とは?わかりやすく。【前編】

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前回は、秀吉の作った屋根金ピカの建物、聚楽第について見てきたね。

天皇を呼んだり徳川家康ら家臣に忠誠を使わせたりと、何かと重要な場所だった。

 

しかし、家督を継がせた甥の秀次を自殺に追い込んだのち聚楽第は秀吉によって完膚なきまでに破壊されてしまったんだった。

 

今回からはいよいよ、秀吉の行った政策について見ていくよ。

 

太閤検地の目的って?

江戸時代もそうだけど、武士の報酬はそのほとんどが「米」。

全国各地の農民が米を作り、その何割かを「年貢」として領主におさめる。

 

領主としてはこの「年貢」に取りこぼしがあるともったいないよね。

もっと手に入れられるはずの給料をみすみす逃しているようなものだ。

また、太閤検地を行う前は、「土地権利関係」が非常に複雑だった。

年貢は田んぼを持っている農民一人一人から徴収せず村単位で徴収していたりしていた。

しかも戦国大名は、自分の土地の一部を部下に与えることで報酬としたりしていたから、土地の所有者がはっきりわからないという問題もあった。

 

加えて、収穫量を図るための升が大名ごとに違うという弊害もあった。

例えば、「この米は升十杯分です」といっても。升のサイズが極端に違えば同じ升十杯でも量に違いが出るよね。

 

これでは非常にわかりにくいわけだ。

 

というわけで、太閤検地を行う理由とは「徴収する年貢量を最大化するため」だということがわかるね。

まとめ

秀吉は、太閤検地を行うことで合理的に年貢を徴収しようと思ったわけだ。

次回は実際にどんなことを行ったのかについて見ていくよ。

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