明治時代

大逆事件をわかりやすく。死刑になった幸徳秋水。

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さて、今日は大逆事件だ。

1910年に明治天皇暗殺を企てたという事で、幸徳秋水を中心とする無政府主義・社会主義者ら26名が起訴された事件。

現代の日本の死刑制度を考えれば想像できないけど、「企てた」という事で12名も死刑になってしまうんだ。

なぜ大逆事件が起きたのか?

当時の歴史的背景を理解する事が大学受験の日本史を極めるポイントになるので、しっかり理解していこう。

 

大逆事件の背景

ご存知の通り、明治時代は資本主義の発達がめざましくかった時代だ。

そうなってくると、賃金労働者の数が急増してさ、出稼ぎ労働者が増えるんだ。

しかも二男・三男などのまだ子供だよ。

彼らは過酷な労働環境で低賃金で働いていたのさ。

 

日露戦争に向けて日本は「臥薪嘗胆」なんてスローガンを抱えて

「耐えろ!ロシアに勝つんだ!!」

と我慢に我慢を強いられてきたから、社会運動が高まってきたんだ。

1901年には社会民主党という等も作られるよ。社会民主党に関しては、『1901年、社会民主党の結成とは?』の記事を読んでね。

その代表的な人物と出来事が1903年の幸徳秋水や堺利彦らによる平民社。

平民新聞という新聞を発行して、社会主義の立場から反戦運動を展開したわけ。

もちろん日露戦争に向かっている明治政府としては、幸徳秋水らのような活動は鬱陶しい。

でも、労働争議ってのはどんどん加熱していくわけ。

1906年には西園寺公望内閣が割と、こういった社会運動に寛容な態度を見せると日本社会党が結成されて社会主義の実現に向けて彼らは大きく躍進するんだよ。

足尾銅山でのストライキなんかは軍隊が出動するくらい大きな騒ぎになったわけ。

 

こういった部分がすべて大逆事件の背景なのさ。

  • 労働条件の改善を求める社会運動が過熱していたこと
  • 社会民主党、日本社会党など社会主義思想を抱える活動家の運動
  • 大規模なストライキで警官や軍隊と衝突していたこと
  • 日清戦争、日露戦争で国民は苦しい生活を強いられていたこと

こういった事が大逆事件に繋がっていくから絶対に覚えておいてね!

 

大逆事件とは?

大学受験の日本史で覚えておきたいのは、

第二次桂内閣はこういった社会運動に厳しい態度を取った

という事だね。

1908年の話さ。社会運動に対する取り締まりを厳しくして、その取締りの一環で1910年に無政府主義者たちが天皇お暗殺を企てているという事を発見。

宮下太吉・菅野スガらが爆弾作ってたんだよね。

これはしっかり取り締まらないと大変な事になる!!

と考えた政府は、社会主義運動を推進していた人達を一斉に検挙。12名を死刑にして14名を懲役刑にしたわけさ。

 

こんな事されちゃったら社会主義者達としては怖いよね?

死刑にされちゃうんだもん。

その後、社会主義運動は下火になっていったので、「冬の時代」なんて呼ばれたよ。

 

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