前回、思わせぶりな終わり方をしていたね。
山県大弐たちは、朱子学の「ある考え」から幕政批判をしたり王政復古を唱えたりしたんだ。
その「ある考え」とは、大義名分だ。
朱子学と大義名分
朱子学は江戸時代の大部分で幕府が支持してきた考え方だ。
人間関係の上下を重んじる朱子学は江戸幕府にとってうってつけ。
幕府が諸大名や庶民を押さえつけるいい口実になるから、朱子学を『正学』として定めていたんだ。
ところが、この朱子学には幕府にとってあんまり好ましくない教えも含まれている。
それが、大義名分論だ。
大義名分は、現代では「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」という意味だね。
朱子学では、「君臣関係(上下関係)は非常に重要だけれども、酷い悪政をする暴君や暗君ならば、“大義名分の名のもとに”君主を倒して国外へ追放する」という教えがある。
つまり朱子学は幕府が上下関係を正当化するのにもってこいだったんだけど、一方で「悪政には大義名分の名のもとに抵抗できる」という困った文言が付け加わってしまっていたんだ。
これがもとで、山県大弐らは「尊王思想」、「倒幕」といった思想を抱いていく。
幕府はこの大義名分に基づく幕府への抗議、抵抗はダメ!と無理矢理定めていた。
だから山県たちは弾圧されたんだ。
まとめ
幕府が支持した朱子学が、皮肉なことに幕末の倒幕運動のきっかけの一つにもなってしまう。
この大義名分論に加えて、当時盛んだった国学の「復古思想」も重なり、どんどん「尊王思想」は拡大していくんだ。