前回は、百姓一揆の種類の一つ「代表越訴(おっそ)型一揆」について見てきたね。
村の中から一人または数人が、要望を「正式な手段を踏まず」「力ずくで」将軍や幕府に訴えること。
今回は、代表越訴型一揆と似た一揆である「惣(そう)百姓一揆」について見ていくよ。
惣百姓一揆は「集団で越訴」
代表越訴型一揆と惣百姓一揆の違いを一言でいうと知れば、「個人」でやるか「集団」でやるか。
個人でやる方が代表越訴型一揆で、これについては前回紹介したね。
代表越訴型一揆を成功させた人は「義民」としてたたえられた。
一方惣百姓一揆は、訴えたい思いを持った村の百姓たちがほぼ全員で集結し、集団で越訴を死に行くというもの。
集団で行うから一揆の規模も代表越訴型一揆より大きくなった。
中には藩内の全域にわたって一揆が起こったこともあったという。
村の役人たちを攻撃したりして無理やり話を聞かせようとした。
惣百姓一揆は規模が大きくなっただけで罪は罪。
百姓たちを主導したリーダー的立場にある人間をとらえ、その家族などはみな処刑された。
まとめ
惣百姓一揆は、幕末に行われる「世直し一揆」への過渡期に生まれた一揆でもあるんだ。
世直し一揆では、惣百姓一揆よりさらに規模が大きくなっていく。
こうした一揆は、やがて幕府をどんどん衰退させていくことになる。