最近ではお笑い芸人やタレントが選挙で当選したりしている。やっぱり選挙においても知名度や国民からのウケやすさっていうのはとても重要なんだね。
でも逆に言ってしまえば、印象が悪くなってしまうだけで政治家は国民からの支持がもらえなくなってしまうんだ。
こんかいみていく山本内閣も直接的には関係のない事件で印象が悪くなって総辞職に追い込まれてしまうんだ。
それじゃあ、はじめるよ!!
山本権兵衛内閣
第一次護憲運動で桂(かつら)内閣(第三次)が解散したあと発足したのは
山本権兵衛(やまもとごんべえ)内閣!!
1913年ね。
陸軍で長州出身の桂太郎の次は
海軍で薩摩出身の山本権兵衛。
それで山本内閣がやったのが、
軍部大臣現役武官制改正(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせいかいせい)!!!
いままで陸軍・海軍大臣になれたのは現役の大将・中将に限られていたんだ。
でもこの改正で「現役」という限定をなくした。
つまり、予備役・退役の大将・中将でも大臣になれるよってなったんだ。
2個師団増設問題では陸軍大臣が誰も選ばれなかったせいで第二次西園寺内閣が解散しちゃったんだね(ここでやったよ)。
今後こんなことが起こらないように山本権兵衛は軍部大臣現役武官制改正をしたんだ。
ジーメンス事件とは?わかりやすく
順風満帆にみえた山本内閣だったけど、そうはいかなかったんだ。
海軍の汚職が発覚したよ。
ドイツのジーメンスっていう会社から軍で使うものを買ってたんだけど、
そのときに海軍のお偉いさんたちが賄賂を貰ってたんだ。
これを
ジーメンス事件(じーめんすじけん)
というよ。
1914年ね。
これで山本内閣は総辞職してしまうんだ。
注意しないといけないのは山本権兵衛が賄賂を受け取っていたわけではないこと。
じゃあ、なぜ総辞職してしまったかというと、山本権兵衛は海軍に属していたね。
だから山本内閣も非難を浴びて総辞職せざるを得なかったんだ。
それで次に内閣総理大臣になったのは
あの大隈重信(おおくましげのぶ)!!
1914年に大隈(おおくま)内閣(第2次)が発足するよ。
この大隈内閣のやったことは、
2個師団増設の可決(にこしだんぞうせつのかけつ)!!
1912年の2個師団増設問題(ここでやったよ)でずっと保留になっていた案を可決したんだ。