今回見ていくのは、「正中の変」。
教科書では太字で乗っているけれど、中学の歴史では出てこなかった事件だよね。
この正中の変は、簡単に言うと、鎌倉幕府滅亡に影響した事件なんだ。
正中の変とは?
正中の変とは、後醍醐天皇が側近の日野資朝・日野俊基と計画した、討幕計画のことなんだ。
後醍醐天皇は、平安時代を理想としていたから、
鎌倉幕府には少なくとも好意は抱いていなかったそうなんだ。
また、幕府は後醍醐天皇だけではなく、御家人からも反感を買っていて、
さらには悪党が好き勝手に行動していることにも悩まされていたんだ。
そこから幕府への批判は瞬く間に人々の間に広がっていってしまう。
このような状況から、後醍醐天皇は討幕をしようと思い始めたんだ。
この後醍醐天皇の立てた討幕計画は、畿内の武士や僧兵を味方につけて、
六波羅探題を襲おうとするものだったんだ。
六波羅探題というのは、1221年の承久の乱の後に設置された幕府の出先機関で、
朝廷の監視や尾張国以西の御家人の統括をしていたところだね。
どのようにして六波羅探題を襲おうかとしていたかというと、
毎年9月に行われる北野神社ではいつもケンカが起こるから、
六波羅探題の武士はその警備にほとんど行ってしまうんだ。
ということは、お祭りの時間にはあまり武士は六波羅探題にいないということになるよね。
そこで、その手薄になった時間を狙って六波羅探題に攻め込もうと計画していたわけなんだ。
しかし、この討幕計画は実行する前にあっけなくばれてしまうんだ。
どうしてばれてしまったのかというと、
計画に参加していた1人である、土岐左近蔵人頼員が舅の六波羅奉行人にすべてを打ち明けてしまったんだ。
彼は、計画実行の直前になって計画を実行することが怖くなってしまったみたいなんだ。
計画がばれてしまったら、六波羅探題も警備を強化するにきまってるよね。
しかも、この計画に後醍醐天皇がかかわっていたと知られたら、天皇の命も危ないかもしれない。
そこで、日野資朝と日野俊基は六波羅探題へ出頭するんだ。
六波羅探題で二人は取り調べを受けることになるんだけれど、
二人とも討幕計画の黒幕に後醍醐天皇がいるということは決して話さなかったそうなんだ。
六波羅探題での取り調べの後、
日野俊基は許され、日野資朝も死刑とされてもおかしくないところ、島流しですんだんだ。
そして天皇の責任についても追及されなかったから、後醍醐天皇は刑に服すことなくすんだんだ。
結局、この討幕運動は失敗に終わったんだけど、
天皇の討幕をしたいという意思は固かったから、もう一度討幕をしようとするんだ。
これを元弘の変というんだけど、これは次回の記事で説明するね。
正中の変、年号の語呂合わせは?
年号の覚え方の語呂合わせを紹介するね。
秘密知る(1324)正中の変
六波羅探題に討幕計画の秘密がばれてしまったから、後醍醐天皇の討幕計画は失敗に終わってしまったんだよね。
是非年号と事件の内容、合わせて覚えてほしい。