アヘン戦争で清がイギリスに負けたことは日本にとって衝撃をもたらしたって伝えたね。
大国だと思っていた、清がいとも簡単にイギリスに負けちゃうし、半植民地状態になっちゃう。でもって、「やっべー!西洋やっべー!」と思った幕府はオランダ風説書をグレードアップさせて、別段風説書を提出させたよね。
海外情勢をとにかくキャッチ!しないといけないからさ。
実はね、このアヘン戦争の結果ってのは日本の方針をも動かす結構な事件だったわけ。今日はそのこと話すから良く聞いてよ。
やっぱり日本史は用語覚えるだけじゃダメダメ!しっかりと理解して、知識を深めないとね。
天保の薪水給与令
まずは、天保の薪水給与令ね。
薪水(しんすい)ってのは薪と水のこと。たきぎってのは火を起こすための木のことだよ。
もう知っていると思うけど、1825年に異国船打払令を出したじゃん?でももうちょい穏便に済ませようよ!
ってことで、いきなり来航してきた外国船に薪や水や食料を与えて帰ってもらったってことね。
打払い!!じゃなくて、まぁこれあげますからお国に帰りなよ。って方針だね。
もともとね、1806年に文化の薪水給与令ってのがあって、外国船が来たら食料とかあげて帰らせてたの。でもその方針も1825年の異国船打払令で廃止ね。
でもって、今回はアヘン戦争の影響で、「さすがにいきなりドンパチやるのはかなり危険!」「外国に仕返しされたらやべぇじゃん!!」
ってことで、1842年に天保の薪水給与令を出したわけだ。
ちょうどアヘン戦争が終わって、南京条約が結ばれた年だから覚えやすいね。
もう一つ覚えておかなきゃならないのは・・・、当時の老中だね!!
誰だかわかる?・・・・水野忠邦だぜ。こいつが異国船打払令を緩和して天保の薪水給与令を出したってわけ。ちょうど天保の改革だから覚えやすいな。
ちなみにだけど、2014年度の中央大学の問題にも天保の薪水給与令が出題されていたよ!しっかり覚えておこうぜ。