前回は旧財閥(三井・三菱・住友)について見てきたね。
旧財閥の特徴は
- 財閥一族による共同出資
- 持株会社の形態をとった
- 多角的な事業展開
だったね。
一方で、第一次世界大戦前後で飛躍的な成長を遂げた新興財閥ってのがあるんだけど、
新興財閥は旧財閥と同じ特徴と異なる特徴の両方を持っていて、よく比較される。
というわけで今回は、新興財閥ってのがどういうものなのか、どういう特徴を持っているのかについて簡潔に見ていこう。
新興財閥に共通する特徴
新興財閥(コンツェルンともいう)は、
- 理研コンツェルン
- 日産コンツェルン
- 森コンツェルン
- 日窒コンツェルン
- 日曹コンツェルン
の総称。
新興財閥の持つ特徴は、
- 株式市場での資金調達
- 持株会社の形態をとった
- “重化学工業部門”への事業多角化、企業合併
という点が挙げられる。
1.株式市場での資金調達
旧財閥系は、財閥一族の持つ巨大な内部資本によって成立していたよね。
子会社の株式も持株会社がすべて保持し、株式を外に出さないような仕組みを取っていた。
これに対して、新興財閥は積極的に株式を公開した。
旧財閥のように株式を持株会社が閉鎖的に持つのではなくて、株式を公開して資金を外部資本(株式市場)に求めていたというわけだ。
株式を公開すると、一般の投資家たちの売買によって株価が変動し、高騰すれば大きな利益を得ることが出来る。
もちろん、暴落すれば利益どころか大損害を受けることもある。
不安定ではあるけど、大きな利益を外から得やすいという株式市場の性質を積極的に活用したのが新興財閥だったんだね。
2.持株会社の形態をとった
これは旧財閥系と同じだね。
持株会社の形態を取ることのメリットは前回見てきたとおりだけど、新興財閥は旧財閥系の持株会社とはちょっと違う点がある。
旧財閥の持株会社は子会社の株式を持っている割合(持株比率)が非常に高かったんだけど、
新興財閥の持株会社はあくまで「子会社を支配できる程度の持株比率」を維持するだけに留めて残りは株式公開する傾向が強い。
また、旧財閥系は持株会社の資産をすべて財閥一族が所有していたけど、
新興財閥は持株会社の株式ですらも公開した。
とにかく株式を利用するのが新興財閥の特徴と言える。
3.“重化学工業部門”への多角化
新興財閥の最重要ポイントでもあるんだけど、新興財閥は共通して重化学工業(鉄鋼業・機械業・化学工業などのこと)方面に重点を置いて多角化をした。
簡単に言うと、子会社間の事業の関連性が強い、ということ。
日産コンツェルンを例にして見てみようか。
日産コンツェルンは、日本産業株式会社という持株会社の元に、
- 日本鉱業
- 日立製作所
- 日産自動車 etc...
といった子会社を持ってた。
日本鉱業は今のJXTGホールディングス(ガソリンスタンドのENEOSとか、石油系)で、日立製作所は今もある電機メーカーのHITACHI。
日産自動車も名称そのまま残ってるね。
これ、全部重工業だよね。
こういう風に、新興財閥の子会社は重化学工業部門で多角化をしていった。
新興財閥が重化学工業部門を多角化した理由
ところで、こんな疑問を抱く人いるんじゃないかな?
「なんで重化学工業部門ばっかり多角化したの?」って。
これには理由2つあって、
- 第一次世界大戦による好景気
- 旧財閥系が手を伸ばしていない分野
という点が挙げられる。
まず第一次世界大戦だけど、大戦景気っての覚えてるかな。
覚えてない人はhttps://jahistory.com/taisenkeiki/も合わせて見てほしい。
ヨーロッパの国々は第一次大戦前、重化学工業品をバンバン輸出してたんだけど、
戦争になり重化学工業品が国内で大量に必要になっちゃって輸出に回せなくなった。
ここで新興財閥は自分たちの重化学工業品を売り込もうと画策した。
その結果重化学工業部門が重点的に多角化されたんだ。
ちなみにこの一連の作戦は大成功で、日本はこの第一次大戦を機に急激な重化学工業化を達成した。
また、重化学工業部門は旧財閥系が手を付けていない分野だったことも、
新興財閥による重化学工業多角化の理由でもある。
重化学工業は当時技術的にも高度で、その分野に参入するには大きなリスクがあった。
そのリスクの高さから旧財閥系は参入を渋っていたんだけど、
逆にそれを好機と見た野心的な経営者が重化学工業部門に飛び込んでいって、それが成功し新興財閥化したわけ。
しかし、旧財閥系も新興財閥が急成長しているのを指くわえてみていたわけではなかった。
旧財閥系は新興財閥にかなり遅れを取りながらも、第一次大戦から満州事変までにかけて相次いで重化学工業部門に参入していった。