平安時代

寝殿造はとても寒い!?特徴を書院造と比べながら説明するよ。

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今回は平安時代の国風文化、その中の建築部門のお話。

 

みんな一度は聞いたことがあるはず寝殿造しんでんづくりという建築様式が、平安時代に誕生した。

・・・ところで、寝殿造ってどんなものなのか、パッとイメージできる?

 

なかなか難しいよね。特徴を語れなんて言われたらなおさら困る。

と、いうわけで。今回は寝殿造という建築について、要点に絞って説明していくよ。

 

寝殿造の特徴

 

大前提として覚えておいてほしいのは、寝殿造は「平安時代」の「上流階級」で見られる建築だということ。

同じ平安時代でも下流階級には見られない。

 

まずここを抑えておいてね。

 

で、肝心の寝殿造の特徴だ。

 

  • 一部屋につき、一つの建物を作り、それを廊下でつなぐ
  • 一部屋がデカい
  • テラスがある
  • 壁がなく、扉やすだれ、屏風などで仕切りを作った
  • 基本的に板の間で、畳は単体で敷かれたりする程度。
  • オプションで池や庭(遊び場)がつくられる

という感じ。

 

一言でいえば「すごく開放的なつくり」だ。

 

イメージとしては、

「体育館の壁を全部とっぱらって、中はパーテーションで区切って部屋にした」建物が2、3棟あり、それを廊下でつなぎました

というのが寝殿造ってわけ。

 

https://ganref.jp/m/arksat/portfolios/photo_detail/cdaebe9dacf0ed8bbe0e8f67f73aebd9

 

つまりどういうことかというと、冬めちゃくちゃ寒い。

壁が扉になってるせいでスキマ風は入り放題、部屋がデカいから火を焚いても暖まりづらい。

 

廊下に至ってはせいぜいすだれ程度の仕切りしかないからほぼ外にいるようなもん。

 

 

なんでこんな住みにくい建築にしたんだよ・・・と思っちゃうよね。

その理由は、貴族的な生活のせい。

 

まず平安時代の貴族は、ことあるごとに宴を開くなどしていて、その際大人数を収容できる部屋が必要だった。

あと儀式の時なんかも、大部屋が必要だった。

 

だからあえてデカい部屋一つにして、取り外し・移動ができるパーテーションで区切るだけという寝殿造が作られたワケ。

 

上流階級にしか寝殿造がない理由も納得でしょ?

別に大人数あつめて宴やらないし、儀式もやらない一般人が、わざわざ冬クソ寒い家なんか作りたくないもんね。

 

寝殿造の「間違ったイメージ」

 

寝殿造の説明の際、「左右対称な~」とか「南に庭や池があって、遊び場があって~」とかいう特徴が語られることがある。

 

実際、左右対称で庭や池を備えた寝殿造の建物もある。

例えば堀河殿とかはまさにこういう構造をしている。

 

しかし、これはあくまで「バリエーションとしてそういう寝殿造の建物もある」ってだけで、すべての寝殿造の建物に共通する特徴ではないんだ。

 

日本史の用語集とか見ると、「寝殿を中心として、北の対・東西の対があって、廊下で接続。南には庭・池が作られる」とか説明されてるよね。

これは“そういう特徴もあるよ”ってだけで、全ての寝殿造の建物がこれに当てはまるわけじゃないんだ。

 

寝殿造はあくまで「開放的な作りになっている」ってことが特徴だから、ココ勘違いしないように。

 

寝殿造と書院造

 

鎌倉時代になると、寝殿造に代わって書院造しょいんづくりという建築様式が主流になっていく。

 

書院造では、寝殿造をベースにしながらも大きな変化が起きていて、

 

  • 複数の部屋が一つの建物に作られ、建物同士が廊下で繋がっている
  • 一部屋は小さめ
  • 部屋に壁ができ、障子などでしっかり区切られる
  • 部屋の床は畳が敷き詰められる(座敷)
  • 客間、床の間、台所などが登場

・・・などなど。

 

詳しくはまた書院造で個別に見ていくけど、

 

寝殿造と比べると、ちゃんと壁で区切られた部屋ができたり、板張りから畳張りになったり、床の間や台所ができたり

「日常生活空間」として進化していってる様子がうかがえるよね。

 

書院造は、現在の「和風な部屋」とほぼ同じようなものと考えても差し支えない。

 

これは、貴族社会から鎌倉時代の「武家社会」に変わったことが大きな原因になっているよ。

 

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