前回は、文人画を大成させた画家・池大雅について見てきたね。
大雅は与謝蕪村との合作である「十便十宜図」という傑作を生みだしたよね。
今回は、当時日本にほとんど入っていなかった洋風画の技術を取り入れた貴重な画家である司馬江漢(しばこうかん)について見ていくよ。
司馬江漢は蘭学者でもあった!?
司馬江漢は非常に多才な人物だった。
幼いころから絵を描くことが大好きで、いずれは画家として名をあげようと考えていたらしい。
15歳で、江戸時代の主流画派のひとつ「狩野派」の技術を学び始めたんだけど、19歳でもう狩野派の画法に飽きてしまった。
そこで19歳のとき、錦絵の大成者である鈴木春信のもとで浮世絵も学んだ。
さらに25歳の時には西洋的な写生画の技術も習得する。(当時写生的な画法は先進的だった)
こうしてどんどん画家として成長していく傍ら、平賀源内を通じて蘭学者である前野良沢らとも関係があった。
ここで洋風画を学ぶと共に蘭学者としても勉強する。
その後は大槻玄沢のもとに入門し蘭学を学び、さらに蘭語の本をもとに「銅版画」を生み出すことに成功する。
司馬江漢の代表作は?
司馬江漢の一番の功績と言われているのは、銅版画の制作だ。
特に有名な銅版画は『不忍池図(しのばずのいけず)』がある。
また、もう一つ大きな功績として「油彩画」、つまり油絵具をつかった絵を描いたことだ。
当時日本には絵の具がなかったので、荏胡麻(えごま)油と顔料を混ぜて自作の絵の具を作って描いた。
『相州鎌倉七里浜図』が有名だ。
まとめ
司馬江漢は銅版画のほかにも洋風画の技術をたくさん取り入れたことで、後の画家たちに大いに貢献することになる。
蘭学も学んだり多数の画法を身に着けたり、とっても多才な人だったんだね。