さて戦後の政党政治の復活についてだ。
1945年11月、片山哲を書記長として日本社会党が結成されたよ。
1947年6月からは約9か月間政権も担当している党なんだけども、旧無産政党からなっている党でさ。
ん?無産政党って何??
って大学受験の日本史組は思うかもしれないから、今日は無産政党について特に解説するよ。
無産政党とは?
無産政党ってのは、共産党以外の労働者からなる政党の事だね。
主に農民が中心。
社会主義の思想はあるけども、日本共産党とは違いますよという点を強調しているね。
というのも戦前、日本共産党は非合法とされていたし、そことは別もんですよとしたかったわけ。
まぁ大学受験の日本史であれば、
日本共産党以外で社会主義活動家で労働者を中心として政党
と覚えておこう。田中義一内閣の時は8名も当選して話題になったよ。
始まりは1901年の社会民主党。
大逆事件で無産政党の活動は下火になるんだけど、1925年の普通選挙法以降は
農民労働党や労働農民党ができたりしたよ、名前からもわかる通り労働者を中心として結成された党ってのがわかるよね。
これが無産政党ってわけさ。
その後、無産政党は第二次世界大戦までにくっついたり離れたりを繰り返してうやむやになっていく。
日本社会党の結成
戦前は無産政党ってのは天皇制にも反対していたし、弾圧されていたしで不遇だったわけだ。
それが戦後の政党政治の復活時に、よせあつめられて日本社会党を結成するにまで至るんだよね。
本当はもっと詳しく話したいんだけど、
詳しく知りたい人は大学や教養で覚えればいいとして・・・
1951年11月 左右両派に分裂をするの。
左右ってのは、左派、右派なんて言ってさ、1つの政党の中でも違う考えのある人達を
右と左で分けて呼称する事だね。ハト派とかタカ派なんて表現もするよ。
日本社会党はサンフランシスコ講和条約に対する考え方の違いで分裂しちゃうんだよね。
この日本社会党の分裂に関しては大学受験の日本史でも覚えておきたいところ。
その後55年体制の1955年には再統一をするよ。仲直りってわけだね。
その後55年体制では日本社会党がずっと野党第1党として君臨していくよ。