平安時代前期の仏教の特徴を分かりやすく!最澄や空海について。

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天平文化期の奈良時代には、南都六宗(通称奈良仏教)が存在した。

奈良時代は「鎮護国家思想」(仏教によって国政を安定させると言う考え)が強くなったので、必然的に政治と仏教の関係が深くなっていった。

 

しかしこれが問題だった。

政治と仏教の関係が強くなるにつれて、だんだん坊さんたちは傲慢になっていって、腐敗していってしまったんだ。

 

この様子を見て呆れた桓武天皇は、仏教界を一新しようと中国から「新しい仏教」を導入しようとした。

 

それで誕生したのが「平安仏教」。最澄の“天台宗”や、空海の“真言宗”の登場だ。

 

 

今回は、そんな平安時代の仏教について詳しく見ていこうと思う。

奈良仏教の腐敗がひどかった

 

鎮護国家という考えは、要するに「仏教によって国を安定させる」ってこと。

これ見方を変えると、お坊さんたちの地位が高くなることが分かるよね。

 

だって、お坊さんいないと仏教成り立たないもんね。

実際、朝廷は「国家事業」としてお坊さんを増やしていくことにした。

 

こうして国の保護・援助を受けて多くのお坊さんが誕生して、めでたしめでたし・・・。

 

とはいかなかったんだよねぇ。

 

 

結論から言うと、国から手厚い保護やら援助やら受けたお坊さんたちは、次第に良い気になって調子に乗り始めてしまったんだ。

夜な夜な酒盛で大騒ぎしたりだとか、女性天皇と関係を持って挙句自分が天皇になろうとしたりだとか・・・。(道鏡についてはここから→https://jahistory.com/usahatiman-shintakujiken/

 

この酷い奈良仏教の腐敗具合を問題視した桓武天皇は、仏教界に新しい風をもたらすべくお坊さんを中国に送り込んだ。

これこそ、のちに平安仏教を展開する最澄と空海だったわけだ。

 

「密教」ブーム

 

中国に派遣された最澄と空海は、それぞれ中国の仏教を学び、日本に持ち帰ってきた。

 

最澄は、天台教学(物事に真摯に取り組んでいれば、人はみんな成仏することが出来るという教え)を本格的に学びながら、

当時中国でも最新の「密教」など幅広く学んで帰ってきた。

 

中国に行く前から既に一定の地位を築いていた最澄は、京都にほど近い比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじで、天台宗を広めた。

 

一方の空海は、「密教」一本。

「密教」をひたすら専門的に学んで帰ってきた。

 

空海は帰国当初地位もそんなに高くなく、おまけに予定されていた留学期間は20年だったのに2年で帰ってきてしまったことから、

朝廷も京都に迎え入れなかったりして少々ごたごたした。

 

・・・がしかし。

最澄とかの協力もあって空海が京都に入ると、たちまち空海は人気者になった。

 

 

その理由は、空海が深く学んできた「密教」にある。

 

最澄が本格的に学んだ天台教とかその他これまでの教えの特徴は、

  • 基本的に「成仏」できるのは今すぐじゃなくて、遠い未来の話
  • 教えは分かりやすく文章化されていて、あけっぴろげ(顕教けんぎょう

 

しかし、密教は、

  • 現世に生きながらにして成仏できる
  • 教えは言葉では言い表せない奥深いもので、秘密のもの(密教)

という特徴があった。

 

で、平安時代にはこの「密教」の方がものすごく人気で、流行ったわけよ。

 

 

なぜか。

 

物凄く雑な例だけどさ、

「この教えを学べば、すぐに高級寿司が食べられる!」ってのと、「この教えを学べば、いつか高級寿司が食べられる!」っていう2つの宗教があったとしたら、

どっちに入りたくなる?

 

多分9割がた、すぐ寿司が食べられる方選ぶよね。

 

「密教」はこの例と同じで、“現世でハッピーが得られる”という教えだから人気が高かったわけ。

 

空海が持ってきた「密教」は、当時の人々にとってとっても新鮮で、またそういうものが求められていたんで、

需要と供給が見事にマッチ。

 

結果、「密教」が大ブームになるわけだ。

 

最澄と空海の対立

 

最澄は、巷で一大ブームになっているのが「密教」だと知ると、

“しまった、密教もっとしっかり学んでくるんだった・・・!流行に乗り遅れないためにも、密教勉強しなきゃ!”と思い、空海の元に弟子入りした。

 

ここから最澄と空海の間に交流が生まれ、10年位親交があったと言う。

 

しかし、次第にこの2人は対立関係に陥っていくことになる。

 

理由は諸説あるんだけど、空海は自分の学んできた密教が最高の教えだと考えていて、

天台宗やその他の宗派は“密教”で到達できる領域には至らないと語ったことで対立構造が生れていったらしい。

 

とまあこういうわけで、最澄は比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじをホームに天台宗を、空海は東寺と高野山金剛峯寺こうやさんこんごうぶじをホームに真言宗を広めていった。

のちに天台宗も密教を習得&教えに取り入れ、「台密」と呼ばれるようになる。これと、真言宗の「東密」とが覇権争いをしていくことになる。

 

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