琉球といえば沖縄だとピンと来る人も多いよね。
じゃあ蝦夷ヶ島はどこだろう。
蝦夷ヶ島は今でいう北海道のことなんだ。
今回は室町時代の沖縄と北海道、つまり琉球と蝦夷ヶ島について説明していくよ。
室町時代の琉球について
まず、琉球王国は1429年から1879年にかけて、沖縄諸島に成立した王国の事なんだ。
北山・中山・南山の三山に分立していた琉球を尚巴志が統一したことによって成立したよ。
琉球王国は明や日本と国交を結び、海外貿易を盛んにおこなったんだ。
琉球の貿易船は、スマトラ島・ジャワ島・インドシナ半島などに航行して、
東南アジア諸国間の中継貿易に従事したんだ。
中継貿易というのは、自分の国の製品を輸出するのではなくて、
他国から輸入した製品を別の国に輸出して利益を得る貿易形態のことを言うよ。
こうして中継貿易によって琉球には多くの国の特産品が集まってくるようになったんだ。
そして琉球王国は繁栄したんだよ。
また、サトウキビが輸入されたのはこの時期で、
この頃から琉球王国でサトウキビが広く栽培されるようになったんだ。
室町時代の蝦夷ヶ島について
室町時代になると、現在の北海道である蝦夷ヶ島に人々の進出が始まったんだ。
蝦夷ヶ島は「えぞがしま」と呼ぶよ。
最近では蝦夷地のほうが聞きなれているかもしれないね。
蝦夷ヶ島は、14世紀には畿内と津軽地方を結ぶ日本海交易が盛んになり、
サケ・コンブといった海産物が京都にもたらされるようになったんだ。
14世紀末~15世紀に津軽海峡を渡り、蝦夷ヶ島南部に居住地を作った人たちを和人というんだ。
彼らは、渡島半島南部の海岸沿いに港を整備し、館を立てたんだ。
この館の事を「道南十二館」というんだ。
この道南十二館は、1457年のコシャマインの戦いのとき、
茂別館、花沢館を残して攻め落とされてしまったんだ。
このコシャマインの戦いは、花沢館の蠣崎氏の客将である武田信広によって鎮圧されたよ。