広島・長崎への原爆投下は、日本が当初考えていた「もうちょっと粘ればいい条件で降伏できるっしょ!」という希望を打ち壊した。
これを受けて日本政府も「これはヤバい!急いで降伏の準備しなきゃ」と考え始める。
しかし広島への原爆投下で大混乱の8月8日、このタイミングで突然ソ連が動き出してしまった。
詳しく見ていこう。
ソ連対日参戦の裏側
ヤルタ会談のところで、いずれソ連が日本に対して宣戦布告をする、という秘密の約束があったの覚えてるかな?
日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告することを、アメリカとイギリスとソ連で取り決めていたんだよね。
なんでこんな取り決めをしていたのか、というと・・・。
当時のアメリカは、日本を降伏させるための手段を三つ考えていた。
- 原子爆弾投下
- 日本本土侵攻作戦
- ソ連の対日参戦
日本は戦時中、ソ連との外交ルートを通じて有利な和平を結ぼうとしていたんだけど、その動きを知ったアメリカは「じゃあソ連が日本を裏切って宣戦布告したら、日本は絶望して降伏するんじゃないか」と考えたんだ。
ただ、ヤルタ会談のころソ連が「アメリカさんよお、おれたちソ連がお望み通り対日参戦して日本占領してやっからよお、支援頼むぜ」とか言い出した。
これを聞いた時点でアメリカは「あ、コイツらどさくさに紛れて日本占領して漁夫の利をとるつもりだな?」と勘づいた。
そんな時、例のレズリー・グローブスが「原爆できたよ!広島は軍事的な地域だから落としましょう」と言ってきたため、当時のトルーマンは「原爆を落とせば、ソ連もアメリカに恐れおののいて漁夫の利を獲ろうなんて考えを改めるかも」と思った。
結果、原爆投下が実行されることになる。(原爆投下の裏側についてはここから→https://jahistory.com/hiroshima-nagasaki-genbaku/)
しかし、アメリカの予想に反してソ連は全く動じず対日参戦を開始してしまった。
日本のポツダム宣言受諾
ソ連は、広島に原爆が投下された2日後の8月8日に、突如日本に宣戦布告する。
日本にとっては寝耳に水だったのでめちゃくちゃ驚いた。
ソ連の対日参戦は完全に奇襲となり、満州にいた日本軍はどんどん負けていった。
原爆投下に続いてソ連の対日参戦。ここまで来たらもう日本はポツダム宣言を飲むしか道はない。
ということで8月15日、天皇自らの声を録音したテープがラジオで流され(玉音放送)、ポツダム宣言受諾と終戦が告げられた。
宣言受諾したのに攻撃するソ連
しかし驚いたことに、日本はポツダム宣言受諾、つまり降伏したというのにソ連はしつこく日本側に攻撃を仕掛けてきた。
しかもめちゃくちゃ大量の戦力を持ってきたんで、太平洋戦争でボロボロの日本は次々やられてしまった。
アメリカもさすがにこれは見過ごせず「おい!日本は降伏したんだからもう攻撃止めろ!」と警告する。
でもソ連は攻撃の手を休めなかった。
満州にいた一般人が逃げようとするもソ連兵に囲まれて、ここでもまた女性への性的暴行、虐殺が行われた。
ソ連の考えとしては、アメリカが予想していた通り「どさくさに紛れて戦争に参加して、日本から土地を奪って漁夫の利を得る」ことが目的だったんで攻撃をやめなかったんだ。
正式に日本が降伏文書に調印した9月2日を過ぎてもなお攻撃は続いた。
攻撃が終わったのは9月4日。
でもここまでの間に、千島列島や樺太が占領されてしまった。(これが現在の北方領土問題。)
さらに、ソ連兵に捕虜にされた満州の日本人なんかは強制労働所に連れていかれて、人権度外視の仕事をさせられバタバタと死んでいったという(シベリア抑留)。その数最低でも6万人。
完全にポツダム宣言違反だった。
ソ連が奇襲で対日参戦したのは、良いことではないけど日本も奇襲攻撃は真珠湾とかでやってるわけで、責めることはできないけど。
日本がポツダム宣言を受諾して降伏もしたのに攻撃を続けた点では、その後の国際社会から「卑怯」と批判されることになった。
ちなみに、こうしたソ連の一連の勝手な行動も原因となって、戦後「冷たい戦争」、いわゆる冷戦につながっていくことにもなるよ。