大宝律令を簡単にわかりやすく。養老律令との違いは?

古代日本の話になると、絶対「律令国家」とか「律令制」という言葉を聞くはず。

 

後で詳しく解説するけど、律令ってのは

「大宝律令が出されたことで確立され、平安時代前期まで続いた法律制度のこと。

 

ただ注意してほしいのは、律令ってのは法律制度ではあるんだけど、その根底にある思想は今の法律や憲法とは違うということ。

その辺も含めて詳しく見ていこう。

 

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八色の姓(やくさのかばね)をわかりやすく!その目的とは?

以前、「氏姓制度」について説明したことがあったよね(詳しくはhttps://jahistory.com/shisei-seido/)。

 

氏姓制度は、大きな権力を持った豪族たちに氏とか姓とかを与えることで統率を図ったものだったよね。

だけどこの氏姓制度が、大化の改新が進むにつれてちょっと「扱いづらい」モノになってしまった。

 

壬申の乱を制して天皇になった天武天皇は、新しい日本を作るための下ごしらえとして氏姓制度を見直すことにした。

 

その結果生まれたのが「八色の姓(やくさのかばね)」だ。

詳しく見ていこう。

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壬申の乱を簡単にわかりやすく説明するよ。乱の原因は⁉

大化の改新期(646~701くらいまで)は、前回見てきた白村江の戦いやら遷都やら、いろいろな事件や出来事が起きる動乱の時代でもあった。

 

今回見ていく壬申の乱(じんしんのらん)も、この大化の改新期に起きた大事件。

大友皇子大海人皇子でお馴染みの、有名な争いだよね。

 

実はこの乱、白村江の戦いに匹敵するターニングポイントでもある。

詳しく見ていこう。

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白村江の戦いはなぜ起きた?その後どうなった?詳しく解説。

白村江(はくそんこう/はくすきのえ)の戦いは、日本史的にとっても重要な戦いだった。

 

「日本(厳密に言えばこの頃はまだ倭国)が外国と戦争を行った数少ない戦争」って意味でももちろん重要なんだけど、

何よりこの戦いの影響で“新しい日本”が誕生することになるんだ。

 

一体どういうことなのか、詳しく見ていこう。

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大化の改新を簡単にわかりやすく。改新の詔は盛りまくり!?

乙巳の変(645)によって、蘇我氏の独断専行状態だった政治は終わりを告げた。

 

孝徳天皇を新たに据え、中臣鎌足&中大兄皇子が主体となって、国のシステム大改造を始める。

で、乙巳の変以後50年近くにわたって行われた様々な政策や改革のこと“大化の改新”という。

 

日本書紀では、646年に「改新の詔(みことのり)」というものが出されて政治改革の方針が示されたとある。

 

・・・と、ここで今までの記事を読んでくれた人なら、“うわ、出たよ日本書紀!”と思ってくれると思う。(笑)

 

日本書紀って奈良時代に書かれたもので、それより昔のことをかなり盛ってるんだったよね。

この改新の詔の内容も、後からかなり盛られていることがほぼ確定している。

 

今回は日本書紀の潤色部分も含めて、この大化の改新について詳しく見ていくよ。

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乙巳(いっし)の変はなぜ起きた?その真相や年号についても。

日本は、ある事件(クーデター)をきっかけにそれまでの社会から大きな変革を遂げる。これを大化の改新というね。

 

で、大化の改新で何が変わったのか、というと色々あるんだけど・・・

イチバンはなんと言っても「律令制」(今でいう法律)という仕組みが導入されたことだ。

 

具体的に言うと、

“国には一人の王様がいて、その国の人と土地は全部王様のモノ”

“王様以外の民はみんな平等”

 

という、古代の中国から代々受け継がれてきた思想が基になった法律だ。

 

ところで、その大化の改新が起きるきっかけとなったある事件ってのが、今回見ていく「乙巳(いっし)の変」なんだ。

この乙巳の変がまた、いろいろな説があって面白いんだ。

 

詳しく見ていこう。

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遣隋使を送った目的って?小野妹子の返書紛失事件の真相についても。

推古天皇の治世で行われた中で、これまた重要なのが今回見ていく「遣隋使(けんずいし)」の派遣。

 

多分一番聞きなれてるのは「遣唐使」の方だと思う。

遣隋使は、遣唐使よりも前の時代に中国に送られていた使節のことだ。

 

中国が「隋(ずい)」という国だった時に送られたのが遣隋使、「唐」という国だった時に送られたのが遣唐使だ。

名称が違うだけで、その目的とかは特に変わりはないってのを、前提として覚えておいてね。

 

それじゃあ本題に入っていこうか。

今回も面白いエピソードあるよ。

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憲法十七条の目的とは?簡単にわかりやすく。

前回、聖徳太子&蘇我馬子が推古天皇の時代に行った政策「冠位十二階」について見てきたよね。

 

そんな聖徳太子たちが行ったもう一つの大きな施策が、「憲法十七条」だ。

 

ただね~これがまた日本書紀がらみってことで、疑惑の目が向けられてたりするんだよね・・・。

今回も憲法十七条の内容と一緒に、疑惑についても見ていこうと思う。

 

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冠位十二階を簡単に、わかりやすく説明するよ。

ヤマト政権は6世紀に、一旦勢力を弱めたんだけど、6世紀後半~7世紀に入って再び力を取り戻した。

 

力を復活させた当時のヤマト政権の中枢にいたのが、「蘇我馬子」と「聖徳太子(厩戸皇子)」

この2人が行った政策によってヤマト政権の在り方が結構変わることになる。さらには、この後始まる奈良時代への大きな足掛かりとなる。

 

その政策の中で超重要なものの一つが「冠位十二階」という制度。

今回はこれを詳しく見ていくよ。

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磐井の乱になぜ新羅が関わってくるの?分かりやすく解説するよ。

ヤマト政権の時代、もっと言えば古墳時代は未だに謎めいた部分が多くある。

 

「ヤマト政権の中心は奈良県にあった」とか、「ヤマト政権は古墳時代に強い力を持っていた」だとかはもう通説になってきてるけど、

「ヤマト政権の勢力ってどこら辺まで影響あったのか」についてはイマイチはっきりしない。

 

そんなヤマト政権の勢力を窺い知るのに大きな助けとなるような、ある事件が6世紀に起きた。

 

これが、磐井の乱(いわいのらん)と言われるもの。

磐井の乱を詳しく見ていくと、6世紀ごろのヤマト政権の様子だったり勢力図だったりが結構見えてくる。重要な出来事なんだ。

 

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