人物

尾崎行雄は憲政の神様と呼ばれた護憲運動を推進した人物。

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人物にフォーカスすしたシリーズだ。

前回は上原勇作が師団を増設する問題で天皇に直接辞職を提出する帷幄上奏権についてやったね。

その後の流れとして、第二次西園寺内閣が総辞職して桂太郎が三度目の内閣を組織するんだけれども

もう流れでわかるよね?陸軍の後押しバリバリのバックアップ内閣だったわけさ。

右翼大喜びの天皇の権威を使って、政治を主導しようとしたんだけれども、議会無視!議会なんて停会!!

という態度を取ったから国民はブチ切れ。

国民は新しい政治への期待が広まってたから陸軍や藩閥に非難の声が高まったわけ。

 

そうして第一次護憲運動に繋がっていくのさ。この護憲運動で外せないのが、尾崎行雄。憲政の神様だね!

 

尾崎行雄という人物

尾崎行雄は日本で議会政治が始まった時から、なんと!戦後まで衆議院議員を務めるんだよ。

当選回数も勤続年数も年齢もトリプルで記録を打ち出したから、『憲政の神様』と呼ばれているわけさ。

大学受験の日本史では以下の2つは要チェックだ。

 

〇共和演説事件

1898年の隈板内閣の時のお茶会でさ。

アメリカ人で金持ちが大統領になることはないのさ、みんな貧乏人。

共和制(いわゆる大統領制)が良いってわけじゃないけど、日本でやったら三井とか三菱が大統領になるんでしょ?

といった発言をしてボコボコにされた事件。

当時は金権政治って言われていて、お金もってりゃなんとかなるっしょってのを批判したかったんだけど、

問題は『日本が共和制だったら』ってところに批判がフォーカスしたわけだね。

だって日本の元首は天皇だからさ。共和制なんて天皇制の否定じゃん?

 

これが有名な共和演説事件だね。

尾崎行雄の共和演説事件は隈板内閣の時!って覚えておくと受験には使えるよ。

 

〇第一次護憲運動

話をちょっと戻すけども陸軍にバックアップされた桂太郎内閣を倒そうと躍起になってたのが、

この立憲政友会の尾崎行雄。

政党政治家や新聞記者団、商工業者が中心となって、桂太郎を倒したわけだ。これを大正政変と言うよ。

桂太郎は立憲同志会を結成して仲間を集めようとするも叶わなかったわけ。

 

藩閥政治の打破
軍部横暴の抑制
国民の参政権を基礎とする憲法に立ち返ろう!

 

という運動を推進したのが、この尾崎行雄なわけさ。これらの運動を総称して第一次護憲運動と呼ばれているわけ。

尾崎行雄は普通選挙の実現に尽力したわけさ。

 

 

 

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