平安時代

押領使・追捕使の違いとは?検非違使との違いや武士との関係も。

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僕が平安時代を勉強しているときにものすごくストレス感じてたのが、「役職がごちゃごちゃしてて難しすぎ」という問題。

まあ平安時代に限った話ではないけど、何が厄介かって仕事内容が一部被ってて違いが分かりづらいことなんだよね。

 

今回見ていく押領使・追捕使おうりょうし・ついぶしとかまさにその典型みたいな役職。

 

平安時代の理解が少しでもラクになるよう、詳しく解説していくよ。

押領使と追捕使の違い

 

まず先に言っておくと、押領使も追捕使も「警察・軍隊」の役割をもった官僚(令外官)だ。

当時出没するようになった海賊だとか山賊だとかを取り締まる役割。

 

と、こうやって大まかにいうと「どっちも同じじゃねぇか!」となっちゃうよね。

 

というわけで、(細かい)押領使と追捕使の違いを一つ一つ見ていこう。

 

 

違い①:誕生した時期

 

押領使と追捕使は置かれた時期が違う。

押領使の方が早くに置かれ、平安時代の初期(8世紀ごろ)から存在した。

 

一方で追捕使は、平安時代の中期ごろ(10世紀ごろ)に置かれた。

 

違い②:担当エリア

 

押領使は、基本的に平安京のある京都から東側の中部地方とか関東地方、いわゆる東日本側に配置された。

 

一方で追捕使は平安京から西側の関西・中国地方、いわゆる西日本側に配置されたんだ。

 

 

ちょっと前になっちゃうけど、承平・天慶の乱の記事を覚えてるかな。()

ここでは関東地方で平将門が、中国・四国地方で藤原純友が乱を起こしたよね。

 

このとき、平将門の乱を鎮圧したのは押領使の藤原秀郷という人で、藤原純友の乱を鎮圧したのは追捕使の小野好古という人だった。

押領使、追捕使の大体の配置エリアを知ってると、押領使・追捕使どっちがどっちの乱を鎮圧したのかわかりやすいよね。

 

 

違い③:厳密な職務内容の差

 

押領使も追捕使も、今のイメージでいうと「~警察署」とか「~県警」みたいな、地域ごとにある警察のトップ的な役割を持つ役職なんだ。

例えば長野県警本部長、みたいな感じ。

 

最初は臨時の官だったけど、承平・天慶の乱以降は常設になった。

 

ただ追捕使は実際に現場に出向いて戦闘に参加したりもしたそうで、若干現場寄りなのが追捕使。

 

ついでに:検非違使との違いは?

 

警察・軍事を司る官職というと、検非違使を思い出す人もいるんじゃないかな?(思い出せた人はGOOD!)

検非違使も確かに同じく警察・軍事担当で治安維持もやってたけど、担当エリアが別なんだ。

 

検非違使は京とその周辺の担当が主。

押領使・追捕使は京エリアの外を担当した。

 

押領使・追捕使と武士

 

押領使や追捕使は、基本的にそれぞれの地域の地元官僚たちの中で「コイツは強い!」と判断された人が抜擢された。

 

特に追捕使の方はのちに“惣追捕使”と名前が変わり、これまでの犯罪集団を取り締まるのが中心の仕事から自分の国全体の警察業務を担当するようになった。

 

実はこれが、平安時代の次にやってくる鎌倉幕府での「守護」へと変化していくんだ。

 

つまり追捕使は守護の原型でもあるんだ。

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