前回・前々回で、解体新書の作成に貢献した前野良沢、杉田玄白について見てきたね。
『ターヘル・アナトミア』翻訳当初のオランダ語学力では奇跡といえるほどの翻訳精度を誇った『解体新書』だけど、良沢や玄沢が自分で言っているように「翻訳が正しくない部分」が多々あった。
それの再翻訳を命じられたのが、玄白と良沢の弟子・大槻玄沢だ。
医学は玄白から、蘭学は良沢から
大槻玄沢は幼いころから医学や語学に非凡な才能を発揮していた。
22歳で江戸に行き、ここで医学や語学の知識を一気に深めた。
医学の先生は杉田玄白、オランダ語の先生は前野良沢だった。
あの『解体新書』コンビが先生だったんだ!
“玄沢”というのは通り名で、2人の先生から一文字ずつとった(杉田玄白の“玄”、前野良沢の“択”)。
解体新書の再翻訳、蘭学入門書を手掛ける
玄沢の功績はたくさんあるんだけど、中でも解体新書を訳しなおしたことと、蘭学の入門書を作ったことが大きい。
解体新書の改訂は杉田玄白から命じられた。
というのも、当時は玄白の時よりもオランダ語の研究や知識が飛躍的に進展していたから。
玄沢は約8年かけて、ようやく「重訂解体新書」を発刊する。
このほか、江戸に蘭学を教える私塾である芝蘭堂を設立。ここで数々の有能な人材を輩出した。
さらにオランダの初歩的な文法などが掲載されている「蘭学階梯(かいてい)」が出版され好評を博する。
まとめ
大槻玄沢は、優れた師に恵まれたことで、「重訂解体新書」や「蘭学階梯」を著すことができたんだね。