前回は、「狂歌」というジャンルについて見てきたね。
狂歌は江戸時代の天明年間に最も盛んになるんだけど、その黄金時代の現出に一役買ったのが大田南畝(なんぽ)だ。
ギャグセン抜群の御家人
実は大田南畝、幕府に仕えるれっきとした御家人。とはいっても父親が下級武士だったために貧しい生活を送っていた。
小さいころから文学の才能があったため、江戸にいた有名な歌人に弟子入り。
国学や漢学などを学ぶ傍ら、コツコツ狂歌を作り溜めていった。
19歳のとき、その書き溜めた狂歌を出版したところ評判になる。
その後も狂歌を作り続け、狂歌グループを江戸に作ったりして活動していた。
すると、今まで上方中心の文化だった狂歌が江戸で大流行。これが「天明狂歌」と呼ばれる狂歌の黄金期だ。
南畝の狂歌は「和歌をもじったもの」
南畝の狂歌作品で有名なのは、ほとんどが和歌をもじって作られている。要するにパロディだ。
これは、青年期に学んだ国学などの豊富な知識からきているという。
- 世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし
- 昨日までひとが死ぬると思ひしがおれが死ぬとはこいつはたまらん
- 一刻を千金づつにつもりなば六万両の春のあけぼの
なんとなーく知ってる和歌がモチーフになっていると思う。
例えば一番上の奴は
- 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし (在原業平)
がもとになっている。
まとめ
大田南畝は、優れたセンスで狂歌を江戸に一気に広めた。
狂歌師としての活動のほか、黄表紙作家・洒落本作家としても名を残している。
ちなみに、南畝は長崎でオランダ船に乗船してコーヒーを飲んだ経験がある(当時は日本人でコーヒー飲んだことある人は少なかった)。
感想は「なんか焦げ臭くて不味い」だったという・・・。
まあ、最初はそんなもんだよね。