今回の記事も徳川家斉が政治の実権を握っていたころの話。
島原の乱以来、実に200年ぶりの大合戦となった「大塩の乱」、別名「大塩平八郎の乱」についてみていくよ。
大塩平八郎は非常に庶民寄りの武士だった
まずは、「大塩の乱」の主人公である大塩平八郎についてみていこう。
大塩の乱を起こす前年、天保の大飢饉により日本各地で百姓一揆がおきていた。
大塩が住んでいた大坂も例外ではなく飢饉の影響を受け、大規模な米不足に陥っていた。
大塩は苦しむ庶民を見て、奉行所に「民衆を助けようじゃないか」というも聞く耳を持ってくれない。
ならばと、自分が持っていた5万冊もの本を売り払って、そのお金を庶民救済のために使った。
一方の大坂町奉行はなかなかのクズ・・・もとい悪政を行っていた。
家斉が大御所となるため、新たに就任する徳川家慶の将軍就任パーティーのため大坂の米を江戸に廻送。
将軍にのご機嫌取りに夢中で市民のことなんか何にも考えちゃいない。
おまけに大坂の豪商たちも利益を得るため米を買い占めたため、庶民たちは米を得ることができなかった。
この振る舞いに大塩は激怒。
大坂町奉行や豪商たちに一矢報いるため武装蜂起の準備を始める。
準備は万端、しかし裏切り者が・・・。
大塩の計画は、諸悪の根源である大坂町奉行を爆弾で爆殺し、豪商たちの建物をぐっちゃぐちゃにして放火するというワイルドなもの。
しっかり計画を練って爆弾も用意でき、さあいよいよ決起だという時になって、まさかの裏切り者。
計画が奉行所にばれてしまい、町奉行を爆殺することができなくなってしまう。
しかし後には引けない大塩は強引に計画をスタート。
鴻池など名だたる豪商の家をぶっ壊し火をつけていったけれど、火災が広まるだけであっさり鎮圧(わずか半日)されてしまう。
決起に失敗した大塩は一度退却して大坂に戻ったが、やがて居場所がバレて包囲されてしまう。
大塩は終わりを悟ると、自ら爆弾で散っていった。
大塩の乱の影響
武士であった大塩が、大坂という幕府にとっても重要な地で反乱を仕掛けたことに役人たちも、庶民たちも衝撃を受けた。
この勇気ある行動に全国が触発され、大塩の行動を真似て反乱を起こしたりと、全国に一揆を誘発することとなった。
まとめ
大塩の乱自体はすぐに鎮圧されてしまったけれど、この乱が残した爪痕は非常に大きいものだった。
大塩の乱に触発されて起きた乱として、「生田万の乱」というものがある。
これについては次回詳しく見ていくよ。