【安土桃山時代のキリシタン大名。②の続き】
今回は三大有名キリシタン大名の最後、大村純忠について見ていくよ。
この人はなかなかヤバイ。
大村純忠は超過激思考のキリシタン
大村純忠とキリスト教の出会いは、当時ポルトガルと深いかかわりがあった長崎の平戸で大事件が発生。
宮の前事件という、ポルトガル人殺害事件が起きてしまったんだ。
これを機にポルトガル人は「平戸にいたら殺される!」と逃げ出し、大村純忠の領地に逃げ込んでくる。
純忠は、キリスト教徒になることでポルトガルと貿易をし、強大な力を得ようと考えていたらしい。(純粋に熱心なキリスト教徒でもあったんだけどね)
大村純忠の何がヤバいかというと、「領内の民衆をみんな強制的にキリスト教徒にする」という暴挙に出たことだ。
神社仏閣を片っ端から破壊、先祖の墓も破壊、僧侶や神主も殺して回り、キリスト教に改宗しない領民は殺すか奴隷として海外に売り飛ばした。
この影響で領内のキリスト教徒は6万人以上になったという。
それでいいのか、純忠よ・・・。
まとめ
キリシタン大名の歴史を見ていくと、それぞれ宣教師とのかかわりを通じて「貿易」が目的の一つだったことがわかるね。(純忠はちょっとやりすぎだけど)
一方で布教活動も盛んにおこなわれたことから、イエズス会にとってもキリシタン大名にとっても交流を持つことは利益だったんだね。