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岡田啓介内閣も挙国一致内閣。名言が心に響く。

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満州国の承認と国際連盟の脱退を行った斎藤実内閣の後をついだのが岡田啓介内閣。

岡田啓介内閣は「弱体内閣」なんて言われるんだけど、実は彼の名言がかなり考えさせられる心に響く名言でね。

個人的には好きなんだよ。

この名言も大学受験の日本史に関係無さそうで、あるから今日はそれを紹介するね。

 

岡田啓介内閣

岡田啓介内閣もまた挙国一致内閣だったよ。

挙国一致内閣ってのは中間内閣とも呼ばれるから念のため覚えておこう。

彼の時はまだ軍部の支配が確立したわけじゃなかったんだけど、政党の勢力はますます弱くなっていったんだ。

犬養毅内閣の時は政党出身が12人もいたのに、斎藤実内閣の時は4人だったよね。

あらに岡田啓介内閣では弱体していって、官僚も軍部を結びついて(革新官僚)国家を改造しようとしていたんだ。

彼らのような勢力を「国家主義革新勢力」と言って、この時期から政治的発言力がどんどん大きくなっていったわけ。

 

陸軍は勝手に陸軍パンフレットを出してさ。

軍部が軍事面だけでなくて、政治・経済・思想・国民生活などほぼ日本を変えてしまうすべての指針(改革)なんかを打ち出しちゃうくらいだったんだ。

 

岡田啓介の名言

岡田啓介は二・二六事件の時に首相官邸を襲撃されたんだけど、奇跡的に助かった幸運な人物なんだ。

結局、軍部の圧力に負けて総辞職するんだけども、

第二次世界大戦の時に終戦工作をしたことで知られてるんだ。その時の名言がこれ

「終戦ということは、
戦争をはじめた内閣には出来できないことだ。」

うーん、なんかかっこいいよね!

内閣総理大臣を務めたいた時は弱体内閣だなんて言われてさ。軍部の圧力で総辞職するわけだけども、二・二六事件では奇跡的に助かって、戦争を終わらせるために画策する。

かっこいいよねー。

しかも戦後、日本の主権回復を果たしたサンフランシスコ平和条約を見届けて85歳でその人生の幕を閉じるんだ。

いやーかっこいい!

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